ファッション業界を支えるメーカーや工場、職人にプロならではのこだわりの技や知識を聞いてみました
南海プリーツ
高い技術で知られるプリーツ工場。世界を目指し、研究開発に邁進する
コレクションブランドやデザイナーズブランドの「プリーツ」を専門に手がけている工場が、茨城県牛久市にある。それが南海プリーツだ。創業からもうすぐ50年。
高いプリーツ加工技術で数多くの顧客を獲得してきた。
上野駅から常磐線で約1時間、牛久駅からタクシーで約10分。
「プリーツで何か面白いことができないか」。
そんなヒントを求めて、東京からコレクションブランドのデザイナーやパタンナーがやってくることも珍しくない。
南海プリーツ社長の吉波剛氏は語る。
「ブランドのシーズンのテーマを、プリーツでどんなふうに表現していくか、一緒に考えていくことも多いです。展示会のサンプル用の試作品をつくることもよくありますね」
周囲を緑に囲まれた大きな建物の2階にある工場では、多くの職人たちが手作業で色とりどりの布にプリーツ加工を施していた。カルトン紙でつくられた型紙に布をはさみ、蛇腹に折り込んでいく。シンプルな折りのものもあるが、細かな折り目、複雑な折り目を指定されたものも。南海プリーツの特徴は、こうしたハンドメイドによる高い技術で、多様なプリーツのデザインをカタチにできる点にある。ちなみにプリーツをつくるために保有している型紙は1000枚以上におよぶそうだ。
「どんな依頼でもノーとは言いません。すべてつくれると自負しています。難しいと感じたら、過去にこんなものを手がけたことがありますよ、とイメージに近いものを見せればほぼ解決。だいたいの型がありますから(笑)」
現在、創業以来手がけてきた関東圏のスクール服のプリーツ加工が約3割、婦人服が約7割の比率で、1億円以上の売り上げを誇る。婦人服のうち8割は、コム デ ギャルソンをはじめとしたコレクションブランドや百貨店に納められているデザイナーズブランドだ。
「生地の柄とプリーツをぴったり合わせるなど、機械ではできない仕上がりを実現するのが仕事。やはりハンドプリーツの技術の蓄積が大きいですね」
南海プリーツ社長の吉波剛氏。創業社長の長男として生まれ、大学卒業後、繊維専門商社勤務を経て、2007年に30歳で入社。14年に叔父の後を継いで3代目社長となった。
入社後は、営業を中心に現場の仕事も経験。
「既存のお客さまからのリピート、また、お客さまからのご紹介も多いです。直近の5年、好調な業績が続いています」。
工場ではベテランも数多く働く。商談室にはスクール服など膨大な量のサンプルがずらり。きめ細やかな繊維素材や「形状記憶折り布」、バラの花もプリーツ技術でできている
創業は1968年。プリーツ工場で修業した吉波氏の父と叔父が東京で独立。2年後に茨城県牛久市に移転した。兄弟の技術は高く評価され、次々に依頼が舞い込むように。1台数千万円の機械設備も、少しずつ増やしていった。
「私は当社入社前、繊維専門商社に勤務しており、いろんな工場を見る機会を得ましたが、入社後に感じたのは、南海プリーツは〝当たり前のレベル〞が極めて高いということ。それが、父や叔父がつくってきた文化だったのだと思います」
今、南海プリーツの従業員数は30人を超える。そのうち、プリーツ加工の職人は25人。年代も性別も様々だ。
「当たり前のレベルの高さは、しっかり引き継がれています。それが、うちの普通の仕事。だから、一人前になるには、少なくとも5年はかかる」
アコーディオン加工、スクール服プリーツ加工、立体加工、マシン加工など、職人は個々の得意分野を持っている。
「でも、会社の方針は全員が何でもできるようにしておくこと。そうすることで、交替しながら休みもしっかり取れるようになります」
工場は笑顔が飛び交う明るい雰囲気。これも、創業者兄弟のつくった空気なのだそうだ。だから、新人も辞めない。
繁忙期には、近所の主婦たちをパートに招くこともあるという。
プリーツ加工はカルトン紙でプリーツの型紙をつくるところから始まる。CADデータを元に専用マシンでカルトン紙に折り目をつけ、それを手で丁寧に折っていく。
「リポビタンDのビンの底で折ると一番うまくいくんです(笑)」。
型紙を2枚つくり、布をはさんで型どおりに折り込んでいく。その型紙と布を専用の大きな心棒にきつく巻き付けて、真空と100度前後の蒸気の排出が繰り返されるスチーム釜で30分熱する。
カルトン紙は蒸気を通しやすい特殊紙なので、ポリエステル系の布などにしっかり熱が加わり、可塑性で折り目がつく。
30分ほど冷ますと完成。折り目の細かいアコーディオンプリーツなども同じ要領でつくられるが、いうまでもなく、すべて丁寧なプロの手作業が必要になる。
カルトン紙での型紙づくりから始まるプリーツは「基本的に折り紙だ」と吉波氏。
実際、その手法を生かして、折り鶴、バラなど、「形状記憶折り紙」ならぬ「形状記憶折り布」もつくった。
例えば、メガネ拭きの布でつくった鶴は、折りを取って平らにしても、手のひらで転がしているうちに、勝手に元の形に戻る。
この技術はコサージュやインテリアなどに使われているほか、東急ハンズが独自の製品をつくり、販売している。
「プリーツのことは、まだまだ知られていないと感じています。本当にいろんなことができるということを、たくさんの人に知ってほしい」
数年前からは、デザイナーズブランドのパタンナー向けに本社でのプリーツ講習も始めた。これが好評だという。
「こんなプリーツがあるんだ、ということを知ってもらえれば、新しい発想の服が生まれるかもしれない。少しでもアパレル業界に貢献できれば、と考えています」
また、和紙を使った照明器具など、新しい領域にも挑んでいる。銀座の並木通りに店舗を構えるラグジュアリーブランドのディスプレイのプリーツも手がけた。
「プリーツの可能性を広げるため、現状に満足せず、オリジナルプリーツの開発など、様々なトライアルを繰り返しています。もちろん、海外の工場に奪われる仕事もあるでしょう。でも、自分たちにしかできない仕事を継続していけば大丈夫」
将来的には、培ってきたプリーツ加工技術で、海外マーケットに進出することも考えている。
「ヨーロッパではプリーツ加工の工場がどんどん減っていて、今やこの分野では、日本の技術力が世界一なんですよ。だからチャンスは大きいと思っています。従業員に夢を持ってもらうためにも、プリーツで大きなチャレンジをしていきたいですね」
ハンドプリーツだけでなく、専用の機械によるマシンプリーツも手がける。3ミリ幅、5ミリ幅など、手作業では難しいプリーツは機械が担っている。
1台2000万円ほどするという機械が、工場には13台。特殊なプリーツ折りにも対応する。救急車やトラックの車内カーテンのプリーツ加工のほか、伊勢志摩サミットのVIP車用カーテンも手がけた。
「ネットで調べたのか、突然、連絡がきて驚いた」(吉波氏)。
一枚のカルトン紙を様々な形に加工することで、立体的で複雑な形のプリーツも可能だ。
「こんなものまでプリーツで」と驚く人は少なくないという。会社では、日々研究開発が行われている。