ファッション業界を支えるメーカーや工場、職人にプロならではのこだわりの技や知識を聞いてみました
丸安毛糸株式会社
ファッション性の高い糸の開発に特化し、右肩上がりの成長を続ける創業6 0 年の「丸安毛糸」。
3 代目経営者はさらなる情報戦略と製品開発で世界に打って出る。
2015年4月、経営産業省の「がんばる中小企業・小規模事業者300社」に選ばれた。セーターやニットで使われる糸の専門商社として、1955年に創業したのが、丸安毛糸だ。同業者の多くが苦境に陥る中、好調な業績を誇るのは、「オンリーワン企業を目指すという創業から続くDNAゆえ」と3代目社長の岡崎博之氏は言う。
「祖母と父が一緒に創業した当時、周りにはたくさんの大手同業者がありました。そこで、他社の手掛けていなかったファンシーヤーンと呼ばれるファッション性の高い糸の開発に特化する独自の路線を展開したのです。売り先も大手アパレル企業をターゲットにせず、ものづくりを重視する中小のアパレルに絞って販売。安売りせず、自社の価値を認めてもらえる会社と組んだのです」
折しも毛糸が腹巻きや手袋といった実用品から、ファッションの世界に広がっていくタイミングと重なった。当時、会社のある両国周辺には、大量生産、大量消費を支えた繊維企業が数十社はあったという。だが、コストダウンを求めて海外に生産を移転。ほとんどが姿を消してしまった。
「その頃、始まったのが80年代のDCブランドブームでした。ほかにない糸、変わった糸を求める国内の有名ブランドから次々に声がかかったのです」
独自の路線が功を奏し、会社は急成長する。ところが、DCブランドブームはやがて終焉。そして同時にバブルも崩壊。そんなタイミングの90年に入社したのが、3代目の岡崎氏だった。
丸安毛糸株式会社が手がける「ファンシーヤーン」は糸そのものがデザイン性を持った個性的なもの。編み方によってさらに違う表情が生まれる。3代目社長、岡崎博之氏は1963年生まれ。大手商社を経て90年に入社。2003年に社長に就任。会社経営に数々の新しいアイデアを展開してきた。現在、自社オリジナル糸の海外展開を模索中。バイイングやトレンドチェックのために訪れているイタリア・フィレンツェの展示会へPR出展の準備を進めている。
〝誰もやっていないことをやる〞DNAは、3代目にも受け継がれていた。糸をつくって納めるだけでなく、 OEM生産で海外製造するニット製品の企画・販売事業を岡崎氏が始めるのだ。
「もう服の原料となる糸の卸しだけでやっていける時代ではない。糸を知りつくしているからこそできる製造があると考えたのです。当時はまだまだ糸屋が製品をつくることが御法度の時代でした。でも、当時の社長だった父は、『やってみろ』と言ってくれたんです」
岡崎氏は高校を卒業後、アメリカの大学に学んだ。国際化の時代がやってきているのに、この業界には英語を話せる人間が極めて少ない、という父のアドバイスがあった。帰国後は大手商社に勤務し、海外でアパレ ルを製造する事業を手掛けた。その後家業に戻り、これまでの経験とノウハウを生かしたOEM製造事業は急成長、糸事業と並ぶまでになっていく。OEM製造事業を始めてから、製造のノウハウとともにデザイン力 ・企画力も社内に蓄積され12年から、オリジナルファクトリーブランド「プントドーロ」も立ち上げた。 驚くのは、ブランドデビューの場所として、いきなりフランス・パ リの展示会を選んだことだ。
「ファッションの影響力は日本よりも欧米が強いですから、そこからスタートしてみようと思いました。 1年かけていろんな調査をして、 自分たちにふさわし い展示会を探しました」
それが、パリコレクションの期間中、4日間にわたって開催される展示会「パリ・シュール・モード」。今年は、セーター用のデニム糸をオリジナルでつくり、インディゴで染めたニットを提案。「これまでにない商品だ」と海外バイヤーから好評を得ている。
ニットOEM事業部では、取引先が企画した製品のほか、オリジナルファクトリーブランド「Punto D’oro(プントドーロ)」を手掛ける。写真の青いニットは、パリの展示会に出展したデニムコレクションのサンプル。あえて糸の中心まで染色しない糸をつくり、独自の手法でデニムの風合いをニットに表現した。「実はこのニットは色落ちするんです。製品としては欠点になると思っていたら、ヨーロッパのバイヤーたちは『ジーンズ同様に色が褪せていくのが面白い』と評価してくれました。日本との視点の違いが新鮮でした」(統括マネージャー・井部 清氏)「パリの小売店に自分たちの開発力をどんどんアピールしていきたい。今後は、アメリカ・ニューヨークの展示会への出展も考えています」(岡崎社長)。社内にはニットの柄などをシミュレーションできるCADシステムのほか、様々な編地をつくることができる編み機など、ニット製造のための設備が並ぶ。
DCブランドブーム後、大きく落ち込んだ糸事業も盛り返した。9割以上を占めるオリジナル開発の糸は、 量・価格競争が激しいボリュームゾーンは狙わず、高価格帯へさらに特化。そして、「ニットをつくる楽しさ、うれしさ、そして感動を伝え続けたい」という会社のミッションのもと、ニットづくりを支援する戦略を構築して いく。
「海外生産が進む中、ものづくりの現場を知らないデザイナーが増えているという声をたくさん耳にするようになりました。また、デザイナーからも糸やその生産方法について、いろんな相談が寄せられるように。だったら、私たちの知識を広く伝えていけばいいじゃないか、自分たちのビジネスになるかどうかに関係なく、ニットづくり全般を支援しよう、と考えるようになったのです」
その動きの一環として、営業の名刺には、「ニットアドバイザー」「ヤーンアドバイザー」という肩書をつけた。09年には、ニットをつくる人たちに会社を開放し、様々な糸を見ながら人が集える空間「ニットラボ」を設立。業界紙にも取り上げられ、多くの関係者がやってくるようにな っ た。
「もうひとつ、力を入れたのが、 積極的な情報発信でした。ニットに関する情報を伝える社内制作のメール マガジンには、今や2万人を超える読者が います」
この努力は、業界内で「ニットのことなら丸安毛糸に相談してみよう」という評判を生み、結果、業績にも結びつく。現在インターネットから月に5、6件は新規の問い合わせがあるという。
「まずはやってみることが大事です。積み重ねも必ず結果を生みます。業界の慣習に縛られたりしてはいけないですね。だって、時代は変わっていくんですから。自分たちも、どんどん変わっていかないといけないんです」
糸事業部では、フィレンツェの展示会で仕入れる一部を除き、ほとんどが自社オリジナルのニット用の糸を扱う。2011年からは、流行の素材を紹介する「ニット素材展示会」を開催。糸だけでなく、編み上がりがイメージできるよう、自社のノウハウを生かして多様な編み地をつくり、数多く展示する。「糸屋が編み地提案をするのは珍しいんですよ」(岡崎社長)。年2回の本社での展示会には、アパレルメーカー、ニットメーカー、商社など、3日間で約200社、約600名の来場がある。また、全国の都市でも頻繁に展示会を開催している。映画やCMをパロディにした展示会のダイレクトメールもユニーク。おもてなしの食器もニット柄。