ファッション業界を支えるメーカーや工場、職人にプロならではのこだわりの技や知識を聞いてみました
野谷久仁子
12歳から鞄職人の修業を始め、自ら立ち上げた吉田カバンを日本有数の鞄メーカーに育てた吉田吉蔵氏。そんな父から、手縫いによる鞄づくりの技法を受け継ぎ、革手縫い職人・バッグデザイナーとして活動してきたのが、野谷久仁子氏だ。師匠である父の鞄づくりのモットーであり、教えでもある“一針入魂”“味のある鞄づくり”を継承する人物である。
浅草に吉田カバン創業者・吉田吉蔵氏の記念館がある。その2階スペースをアトリエとし、革手縫いの教室を運営しているのが、吉田氏の次女・野谷久仁子氏だ。
「父は、吉田カバンの経営を軌道に乗せた後は、昔身につけた革手縫いの技法で自分の好きなものをつくりたい、という思いをずっと持っていました。それを実現したのが、この場所です。70代になって長男に経営を任せてからは、工房にこもり、鞄や小物づくりに没頭していました」
その当時、野谷氏は40代。
「父の技術を間近で見たのは、この時が初めてでした。今は革を縫うための特殊な針が売られていますが、父が使っていたのは、昔からあるごく普通の太い木綿針。たった2本の針で、小さなものから大きなものまで一気に縫い上げる革手縫いの技術の凄さに、衝撃を受け、同時にその魅力に引き込まれました」
ほどよい厚みのある革を縫っていくと、まわりの革がぷくりと膨らむ。ミシン縫いでは表現できない、手縫い独特の膨らみをとても美しく感じた。
「しかも、素材となる革の種類によって、その膨らみにいろいろな表情が見られるところも、面白いんですよ」
株式会社縫とクニコズファクトリーの代表を務める野谷久仁子氏。1942年、東京・神田に生まれ、幼少の頃から鞄職人だった父を見て育った。山脇服飾美術学院、サロン・ド・シャポー学院で帽子デザインを学び、帽子デザイナーの道へ。40代から鞄職人としての活動を開始。著書に『手縫いで作る革のカバン』『手縫いで作る革の品々』『はじめての革手縫い』などがある。教室を兼ねたアトリエには、革見本や彼女の作品が並び、階下が父・吉田吉蔵氏の記念館となっている。吉田氏の在りし日の仕事場を再現したスペースも。
実は野谷氏は、40歳まで帽子デザイナーとして活躍していた。高校を卒業後、二つの専門学校を出たのち、家業の鞄づくりとは違う道を選んだのだが、当時、父は喜んでくれたという。
「世の中の美しいものをたくさん見るといい、と言ってくれたんですよ。父は昔から市場調査でよく街を歩いていましたが、どこにきれいなものがあるか、教えてくれたりしましたね」
デザインした帽子は、ディスプレイやテレビCMなどで起用され、人気を得た。結婚、子育てを終えた頃には、「せっかくの晴れ舞台なのに、おかしな帽子が多い」と感じたウェディングドレスの世界に飛び込み、オーダーメイドで帽子をつくるようになる。鞄に興味を持つようになったのはこの頃だ。
「鞄と帽子をセットでつくれたらいいなぁ、と考え始めたのです」
そんな折、通商産業省(当時)が展開していた、鞄づくりの技術者を育成する研修の存在を知る。
「2年間、週2日の講座でしたが、『これに通ったら鞄づくりを教える』と父が言ってくれたのです。基礎がわかっていないと教えられないから、と。ちょうど今回で研修の実施が最後になると聞き、思い切って参加したんですよ」
2年間の研修修了後は工房に通い、毎日父のそばで手縫いの技術を学んだ。吉田氏は、大事なところは「ここはしっかり見てくれ」と声をかけてくれた。その卓越した技術を見て、帽子デザイナーから鞄職人に完全にシフトすることを決意。だが、そこで父から学んだ一番大切なことは、技術以上に、ものをつくることに向かう姿勢だったという。
「鞄の新しい世界を自分でつくりなさいとよく言われました。手縫いの歴史や伝統は、それはそれで大事だけれど、自分独自の鞄をつくっていけ、と。父自身もチャレンジ精神を持ち続け、こう工夫したらいいかたちになったと嬉しそうに見せてくれる。そんな姿を見て、父のように情熱をもってものづくりができたらいいなぁと感じていました。いい姿勢があるから、いい技術も身に付くのです」
革手縫いの鞄づくりは、革の裏面の毛羽立ちを抑える加工をし、デザインに合わせて革を裁断した後、縫いの作業に入る。縫い合わせる部分に縫い線を引き、線に沿って目打ちの刃物を当て、金槌で穴を打ち込む。これが、針を通す穴になる。1本の糸の両端に2本の針を付け、革の両側から針を通して縫い穴の中で糸が交差するように縫っていく。ミシン縫いとは違い、この縫い方なら片方の糸が切れても、ほどけてしまうようなことはない。革手縫い職人が減り、職人が使う刃物などの道具を手づくりする職人も減っている。機械でつくる道具よりも職人による手づくりの道具のほうが値段が高いが、仕上がりの良さに大きな差が出るという。
生前、吉田氏が、技術を会得した野谷氏に残したメッセージは2つ。吉田カバンの中に革手縫いを残すこと。そしてもう一つが、多くの人に革手縫いの素晴らしさ、楽しさを広めることだ。
「革手縫いを広く知ってもらうには、どうすればいいか。最初はとても悩みました。そんな時、本を出さないか、というご提案をいただいて。覚悟も必要でしたし、大変な取り組みでしたが、やってみようと決めたのです」
こうした思いの中から生まれたのが、最初の著書『手縫いで作る革のカバン』。この本はロングセラーとなり、台湾・韓国・中国でも出版された。
「この本を、父に見せてあげたかったなぁ、と思います」
さらに、2000年の吉田カバンの旗艦店であるクラチカ ヨシダ表参道のオープンから、週に2日、店内の工房にて製作実演を行い、お客さまだけでなく吉田カバンの職人にもその技を目にできる機会をつくった。10年には、革手縫いの教室をスタート。現在、30名ほどの生徒を教えているが、継続希望者が多いため、新規受講希望者のウエイティングが出るほどの人気だ。
吉田氏は、野谷氏に技術者を育てよとは言わなかった。革手縫いを広めてほしいという父からのメッセージの意味を彼女は理解し、守り続けている。
「ここでは職人の育成は一切考えていません。革手縫いの楽しさを、一人でも多くの人に知ってもらい、その良さをわかってくれる人を増やしていきたい。そうすることで、革手縫いの技術から生まれた本当にいい鞄が世の中に残っていく。それが父の願いだったのだと思います。そして父から託された、私の役割なのだと思っています」
「吉田カバンに手縫いを残してほしい」という父のメッセージに応え、同社の新入社員研修も引き受けている。東京・表参道にあるクラチカ ヨシダ表参道では、店舗の一角に工房があり、週2回、ほか2人のカバン職人とローテーションしながら実際の製作作業を公開。「父は、一職人として技術を磨きながら、鞄メーカー経営者としての手腕も発揮し続けました。日本でいち早く鞄デザイナーを社内で育成するなど、常に未来を見据えていましたね」(野谷氏)。店内には、父・吉蔵氏の仕事の精神であり社是、“一針入魂”の文字が入った写真が飾られている。