ファッション業界を支えるメーカーや工場、職人にプロならではのこだわりの技や知識を聞いてみました
有限会社ファッションいずみ
さいたま市にある、知る人ぞ知る、従業員5人の縫製工場。
取引先は、新進気鋭のデザイナーから大御所まで幅広く、続々と仕事が押し寄せている。
手掛けた製品がファッション誌の表紙を飾ったこともある。
高い縫製技術を持ち、デザイナーたちから厚い信頼を得ている、同社の秘密を探った。
「タロウホリウチ」「サカヨリ」「ファブリック・バイ・カズイ」「ジュンコ・コシノ」……。取引先には、新進気鋭のコレクションブランドや、若者に今注目の人気ブランド、ファッション界の大御所の名がずらりと並ぶ。
「こんな難しいこと、できるでしょうか……といった相談をお受けすることもよくあります。縫製のプロとして頼ってもらったり、信頼して任せてもらえることがうれしいですね」
代表取締役の水出俊哉氏が率いる、「ファッションいずみ」。従業員5名の縫製工場は、毎月、限界を超えるほどの仕事量を抱え大忙しだ。
「ロットが少なすぎるから、大きな工場には頼みづらい。かといって、小さな縫製屋さんでは、どうにも垢抜けない。いい縫製工場がないか悩み、探しているメーカーやデザイナーはとても多いのだと感じています」
錚々たるデザイナーたちによる同社への信頼は、技術力の高さにある。既存顧客の紹介を受けて、ひとつだけサンプルをつくって出してみると、「すごくいい! 量産もすべてお任せしたい」と、いきなり大量オーダーが舞い込んでくることも少なくない。
「とにかく見えないところに時間をかけます。そして細かな作業を丁寧に正確にやる。例えば、合印は生地を傷めないよう、目打ちではなく糸印を使います。初めて扱う素材も多いので、裁ち落とした端の生地を使って何度も何度も試し縫いをしてから縫い始める。そういった、努力を惜しまない仕事を心がけています」
1991年の創業から24年。この間には、紆余曲折もあった。転機が訪れたのは、2002年。この決断がなければ今はなかったと水出氏は語る。
代表の水出氏は高校卒業後、20人規模の縫製工場で、8年間修業を積み、出身地のさいたま市で縫製工場を立ち上げた。最大の特徴は高い縫製技術だ。「難しい要望をいただいて、なんとかやってみると、『いったいどうやってつくったんですか』と逆に問われることもあります(笑)」。また、洋服のお直しでも知られる存在だ。「こだわりの服だからプロにお願いしたい。形見の洋服を今風にアレンジしてほしい。そんなオーダーも少なくありません」。地方からの依頼も多いという。約25坪の工場には、所狭しと縫製用パーツが並んでいた。
水出氏は、高級婦人服を手がける縫製工場での修業を経て、妻と二人で独立した。修業先から大手メーカーの紹介を受け、事業は順調にスタート。プレタブームに乗って成長も遂げた。しかし、2000年頃から、メーカーはコストダウンを求めて縫製を次々に海外に出し始める。同社の仕事は激減した。
「いずれはそういう時代が来ると予想していました」と水出氏は言うが、海外に仕事が移るスピードは想像以上に速かった。廃業の道を選ぶ仲間の同業者も続出する中、水出氏は新たな道を模索する。
「縫製工場はどうしても効率を求めてしまいます。でも、それを突き詰めても資金力のある大手にはかなわない。ここで勝負してもだめだ、技術で勝負しなければ、と気づいたんです」
独立から10年以上が過ぎ、“ある程度は縫える”自信はあった。だが水出氏は、同業者の集まりで知り合った、業界最高峰の技術を持つ縫製工場の経営者に「技術を学ばせてください」とお願いし、あらためて修業の道に入ったのだ。
その工場での新たな日々は、衝撃の連続だった。
「ただメーカーに言われたとおり仕事をこなすのではない。さらにいいものに仕立て上げていくため、縫製工場として考えるわけですね。結果、できあがったものの表情、“顔”が、まったく変わってくる。どうすれば同じようにできるのか、最初は想像もつきませんでした」
修業期間は3年にも及んだ。プライドをかなぐり捨て、あらゆることを吸収した。わかったことは、過去の仕事のやり方をすべて捨てなければいけないということ。そして、あらゆるところで精度を高めていくことだった。これは後に、すべての仕事に応用できた。
「この3年が、人生を変えました」
ファッション紙『WWD』の表紙を飾った「タロウホリウチ」の作品(左写真)の縫製も手がけた。「美しいドレープなどクリエイターの細やかな感性をかたちにするのは、難しくも楽しい」と語る水出氏。ファッションいずみでは採用した社員の教育にも力を入れている。「大切なのは、妥協しないことです。ダメなものはダメ、と言えるかどうか。そうでなければ、いずみの“顔”として、お客さまに納められませんし、それができなければ次はありませんので」。サンプルの縫製はすべての工程で細かく時間を測り、作業時間から見積もりをつくっていく。
東京コレクションにも顔を出す若いデザイナーとの取り引きが増えたのも、この修業のおかげだった。
「デザイナーの感性は本当に凄くて、びっくりするようなアイデアが出てくる。こんなふうにできないか、と相談を受けることも多い。縫製の立場でアイデアを出したり、アレンジをしたりもします。サンプルをちょっと変えてみようと話し合ったら、オーダー数がぐっと増えた、なんてこともありました。一緒につくっている、という感覚が持てるのが、本当に楽しいですね」
取引開始当初は小さかったブランドが、有名ブランドに成長したケースもある。日本の高い縫製技術が、日本の高感度なファッションの創造に大きな役割を果たしているのだ。
「若い人たちに、僕らがやっている縫製技術を伝えていかなければいけないと思っています。コレクションに出ているような感度の高い洋服が、どうやってつくられているか、一人でも多くの後継者たちに知ってほしいのです」
自分が教えてもらったことを、次代に引き継いでいくこと、縫製の仕事の魅力を、待遇も含めてもっともっと高めていくこと。やらなければいけないことはたくさんある、と水出氏。
「そして何より、当社に洋服を縫ってほしいというお客さまが増えていく仕事をし続けることです」
気鋭のデザイナーたちとの仕事では、まったく新しい素材への対応を求められることも多い。「サカヨリ」の作品(右下)は超薄手素材。これを縫うために、極細の糸と針を厳選した。スーツ(左上)は「サカヨリ リュクス」の作品。ドレスやワンピースを得意とするが、スーツなども担う。工場内の作業は役割を分担して行われている。極めて高い精度が求められる裁断は、水出氏が担当。工程配分と最終の組み立て、品質チェックを妻が担う。顧客開拓に役立ったのが、会社のウェブサイトだ。今もここからの問い合わせが多いという。人柄が見える水出氏のブログも、問い合わせに拍車をかけている。