ファッション業界で活躍する若手クリエイターをピックアップ
森川 拓野
1982年、神奈川県生まれ、秋田育ち。文化服装学院卒業後、株式会社イッセイミヤケに入社。「ISSEY MIYAKE」「ISSEY MIYAKE MEN」でパリコレクションの企画デザイン担当などを経て独立。 2012年、森川デザイン事務所を設立し、自身のブランド「TaaKK(ターク)」を立ち上げる。 13年に「Tokyo新人デザイナーファッション大賞(プロ部門)」を受賞。また、14年には、アジアファッション連合会のタイ・バンコク大会に日本代表として参加。
ファッション界に新しい旋風を巻き起こす新進気鋭のクリエイターたち。次世代を担う彼らのクリエイションとは?ファッションで目指す世界観とは?
森川拓野氏がデザイナーを目指した原点には母親の存在がある。自分で服をつくりたいと思った高校時代、ニット制作を仕事にしていた母に、服のつくり方や作図の仕方を教えてもらい、そこから服づくりに熱中するようになった。実際にタークの2014年秋冬コレクションのニットの中には、母の手によるものが4点あるなど、今なお彼に影響を与え続けている。 文化服装学院を卒業後、森川氏は株式会社イッセイミヤケに入社する。転機が訪れたのは08年、「XXlc 21世紀人」展(21_21 DESIGN SIGHTで展示)に展示された「21世紀の神話」という三宅一生氏のインスタレーション作品の制作に携わった時のことだ。
「越前和紙を使ったアートだったのですが、1年ほど服づくりから離れ、ひたすら工房で作品をつくっていました」 その仕事を終えたあと、会社にとどまるべきか、独立するべきか悩んだ。そんな彼に三宅氏は「イッセイミヤケ」「イッセイミヤケ メン」の企画デザインなどを担当させる。これが貴重な経験となった。 「そこで、レディース、メンズの企画からデザインなど、すべての工程に携わることができました。一生さんがつくった“自由に企画できる環境”で仕事をさせてもらったことは、本当に得難い経験になっていて、心から感謝しています」
「デザインをする時に、あまり奇をてらいたくないと思っているんです。毎日、普通に着られるけど特別なものをつくりたい。だからこそ、生地などの開発、つまり“デザインの根本”に徹底的にこだわっています」 例えば、ジャケット。生地を二重にし、下にある生地の繊維を表面に引き出すことによって、独特な質感を生み出す素材をつくった。
「この生地は自分で工場へ行ってつくってきたもの。ユニークな素材を使ってデザインしていくと、“日常に馴染む新しさ”が生まれる。僕はそういったスタイルを追求したい」 彼はその“日常に馴染む新しさ”を追求するため、全国の縫製工場や生地工場に足しげく通う。
「そうすることによって、初めて地に足が着いたものづくりができる。直接、人と会わないと得られない知識、技術、経験を積み重ねることによって、自分らしい、いいものができると思っています」 森川氏にとってパリ・コレクションへの出展は夢のひとつだが、最終目標ではない。もはやそこを目標にする時代ではないと言う。
「3年後には直営店をつくりたいという目標はありますが、最終的には“人の記憶に残る服”をつくりたい。ブランディングは大事ですが、理想はブランド名がなくても、僕の服だとわかってもらえるものをつくること。そのためには何をすればいいか? 残念ながら、僕にはまだ答えがありません。でもその答えを60歳、70歳になっても模索し続ける自分でいたい」 日本の縫製・生地の技術の進化とともに、自分らしいデザインを求めてつくり続ける。そこから今まで見たことのないクリエイションがさらに生みだされていくだろう。
文/苅谷崇之
撮影/細谷 聡