ファッション業界で活躍する若手クリエイターをピックアップ
志賀 亮太
1985年、福島県生まれ。アントワープ、ミラノでの修業後、アメリカ、ドイツ、ニュージーランド、シンガポール、中国でコレクション発表し、多くの賞を受賞。
2011年、自身のブランドRYOTASHIGA(14年にSHIGAに改名 )をスタート。
ファッション界に新しい旋風を巻き起こす新進気鋭のクリエイターたち。次世代を担う彼らのクリエイションとは?ファッションで目指す世界観とは?
オリジナルのテキスタイルと流れを生み出すカッティングで優雅なスタイルを生み出す「SHIGA」。デザイナーの志賀亮太氏は、昔から服が何よりも好きだった。高校時代は、出身地のいわき市にあるお気に入りのセレクトショップ「M-TWO」へ足繁く通った。
そこで親しくなったバイヤーから「ファッションを仕事にしたいならパリへ行きなさい」と言われたことが大きな刺激に。
杉野服飾大学在学中、件のバイヤーに誘われ、パリのファッションウィークを観る機会を得る。
「様々なメゾンのランウェイを目の当たりにして衝撃を受けました。特に印象的だったのが、山本耀司さんの『Y-3』です。世界中のスーパースターたちと肩を並べ、人の日本人がクリエイションを発信している。この時ですね、本気でデザイナーを志したのは」
卒業後は単身イタリアへ渡り、アントニオ・ベラルディの下でデザイナーとしての第一歩を踏み出した。そこで志賀氏は、ヨーロッパと日本のものづくりの違いを体感する。
「ヨーロッパの生地工場は、自分たちがいいと思うものをデザイナーに提案したりします。一方、日本の工場はデザイナーの求める新しいデザインを精緻につくることが得意。独特の〝間〞や〝侘〞・〝寂〞がある日本のエレガンスには、生地職人の繊細な仕事が欠かせないのです。服づくりにおける日本の職
人力は、世界に誇るべきものだと感じました」
アメリカ、ドイツ、シンガポールなど、世界各国でコレクションを発表し、数多くの賞を獲得。
2010年、デザイナーとしての実力をつけて帰国した。
その後は、日本全国の生地生産地を巡り、素材を吟味しながら、日本でしかできない服づくりに専念。
しかし、繊維産業の現状を知るにつけ、このままでは近い将来、日本の生地づくりが途絶えてしまう……そんな危機感を感じるようになる。
「デザイナーの自分ができることはないだろうか」。自問自答を続けるなかで導き出したのが、「都市をつくる」という構想だった。
「ファッションやデザインの力で、日本に点在する生地生産地に再び活気を取り戻すことが第一のミッションであると考えるようになりました。さらに次代を担う起業家たちと協力し、新たな産業を根づかせていくことができれば、そこには人が集まり、都市を生み出す可能性がある。そのような都市が全国各地に増えれば、東京だけではなく、地方からも日本を代表する文化を世界へ発信できるのではないか、と」
17年5月、志賀氏はあえて拠点をパリに移した。
歴史や伝統を守りつつ、多様な変化に対応し、復活を成功させているヨーロッパの都市についてリサーチと研究を重ね、日本に適した都市づくりの手法を探るためだ。
「20年の東京オリンピック開催までは、世界中が日本の動向に注目しています。このタイミングを生かしてチャレンジしていきたい」
志賀氏はデザイナーの視点を武器に、ファッションだけにとどまらない、大きなビジョンを描き始めている。