ファッション業界で活躍する若手クリエイターをピックアップ
ミハイル ギニス
ギリシャ生まれ。2004年、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション卒業。在学中の03年、日本にてイッセイミヤケでのインターンシップを経験。06年、日本製の生地に魅せられ、東京へ移住し、活動を始める。08年、自身のブランドを開始。14年、ブランド名を「ミハイル ギニス」に改名し、自らが日本の生地の素晴らしさを伝える場として「MICHAIL GKINIS SPACE↑等々力渓谷」をオープン。
ファッション界に新しい旋風を巻き起こす新進気鋭のクリエイターたち。次世代を担う彼らのクリエイションとは?ファッションで目指す世界観とは?
ミハイル・ギニス氏は、ファッション・アトリエを経営しているギリシャの生家で、ミシンや糸に囲まれて育った。デザイナーを意識したことはなく、むしろそれに反発していたという。経営学を学びながら自分らしさを模索していた大学時代、家族の強い勧めを受けてロンドンへ渡り、ファッションの道を歩み始める。
日本に憧れるようになったのは高校生の頃。溝口健二の映画や谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』などに描かれる独特の光と影に包まれた世界に魅了された。在学中、ヨーロピアン初となるイッセイミヤケのインターンとして、日本でコレクションを経験したことも、彼の日本に憧れる思いをさらにふくらませていく。
「日本の織物工場や加工工場など、様々な現場で“本物”を見せてもらいました。自分にとって宝物のような経験でした」
そしてインターン中、日本製のオーガニックコットンと出合ったことが、決定的な人生の転機となった。それまで質の高いヨーロッパ各地のテキスタイルを数多く手にしてきたギニス氏だが、一番強いインスピレーションを与えてくれたのが、豊かな自然と職人の心が感じられる日本の生地だった。
「つくり手のやさしく丁寧な気持ちが伝わってきて、ものすごく感動したのです。糸と糸の間に、日本のきれいな空気と水の存在を感じました」
学校を卒業後、一旦ギリシャへ帰国し、オーガニックコットンのコレクションを発表。2006年、イベント出展のために往復航空券を購入し、来日するが、ギニス氏はギリシャへ戻らなかった。東京にアトリエを構え、創作活動をスタートさせたのだ。
「ミハイル ギニス」のデザインコンセプトは、「Industrial & Nature」。工業的な要素に手仕事のエッセンスを添えるのも特徴。彼はこの手法を
「Futuristic Craftsmanship 」
と呼んでいる。
「スーパー・ハイテクノロジーでつくられた生地を一枚一枚職人さんがカット。手仕事を工程に入れることで生まれる、趣ある表情を大切にしています」
そうして生まれた代表的アイテム「プレインコーニススカーフ」は、カットオフしてもほつれないハイテク生地を、蛇腹にカットして柔らかい風合いを出したもの。またレザーと自然素材のハイテク生地を組み合わせたスカーフも人気アイテムだ。
来日以来、多くの国内生地生産企業とかかわりを築いてきた。そして脈々と受け継がれてきた日本独特の生産技術が、職人の高齢化などの理由で存続の危機にある状況を目にし、自分にできることを努力する必要性も感じているという。
「等々力渓谷のアトリエスペースで、国内生地の素晴らしさをより多くの人へ伝えながら、日本の生地文化および技術の維持継承を後押ししていきたい。」