ファッション業界で活躍する若手クリエイターをピックアップ
井野 将之
1979年、群馬県生まれ。東京モード学園卒業後、株式会社アバハウスインターナショナル入社。企業デザイナーを経て、浅草のベルト工場にて革小物製作の経験を積む。2005年より、株式会社ソスウインターナショナルで「MIHARAYASUHIRO」の靴・アクセサリーの企画生産に従事。12年、自身のブランド「doublet(ダブレット)」を設立。13年、「2013 Tokyo新人デザイナーファッション大賞」プロ部門のビジネス支援デザイナーに選出され、最高位の東京都知事賞を受賞。
ファッション界に新しい旋風を巻き起こす新進気鋭のクリエイターたち。次世代を担う彼らのクリエイションとは?ファッションで目指す世界観とは?
幼い頃からユニークなアイデアを思案し、ものをつくることが好きだったという井野将之氏が、ファッションというテーマに魅了されたのは高校時代。ストリートスナップを取り上げたファッション誌『asayan』を手に取ったことがきっかけだった。
「90年代後半は、“裏原ブーム”全盛期で、アンダーカバー、ジェネラルリサーチなどの服を着ている人たちがキラキラして見えた。アルバイトで得たお金は、すべて服につぎ込んでいました」
数々のブランドのデザインに触れることで、ファッションを手がけていきたいという気持ちは確固たるものとなった。東京モード学園卒業後、企業デザイナーとして経験を積み、その後学生時代の友人とブランドを立ち上げるために独立。だが、いざスタートしてみると、世間の対応が企業に勤めていた頃とはまるで違うことに気がついた。そう簡単に力になってくれる人は現れず、また、自分がそのような関係をこれまで築けていなかったことを痛感。しかし、懇意にしていた浅草のベルト工場だけは、井野氏に変わらず接してくれた。あらゆることを一から出直したいと考え、ベルト工場で働かせてほしいと申し出る。
「現場の立場になって、初めて気づくことが山のようにあった。ブランドを立ち上げたいという気持ちは変わらなかったので、余った革で夜な夜なベルトなどを自作していましたね」
試行錯誤する中で、「MIHARA YASUHIRO」の三原康裕氏へ履歴書とデザイン画を送り、作品を見てもらう機会を得る。その3カ月後、靴デザイナーとして入社。仕事のノウハウはすべて三原氏から教わった。
「企画から生産まで、全工程に携わることができ、革や靴づくりの魅力に取り憑かれました」
オリジナルのデザインで、製品を手にする人との距離を縮めたいという思いが募り、7年勤めた「MIHARA YASUHIRO」を退職。自らのブランド、「ダブレット」を立ち上げる。ベーシックなアイテムに、日常の視点を変えるエッセンスをちりばめたデザインが評価され、13年にTokyo新人デザイナーファッション大賞を受賞。将来を期待される井野氏だが、海外へ出展するタイミングは、継続できる体力を備えてからだと考えている。
「16‐17年秋冬の東京コレクション出展が今の目標です。一歩一歩地に足を着けて、かつ遠くを見据えながら進んでいきたい」
ブランドや自身にとって、大切な財産であり、支えとなっているのは「人との出会い」だ。
「誰も知らないようなこのブランドを、セレクトショップの人たちがお客さまの手元へ届けてくれる。いかにいいデザインでも売り場がなければ、伝えていくことはできません。また、今は少ない数しか発注できていなくても、ブランドの将来性を見込んで付き合ってくれている工場との関係性を大切にしていきたい」
井野氏の人やものとの真摯なかかわり方、そしてその姿勢が、多くの人たちの心を揺り動かす仕かけや未知なるクリエイションを生みだす源泉となっている。
文/渡辺彩子
撮影/細谷 聡