ファッション業界で活躍する若手クリエイターをピックアップ
天津 憂
2004年、単身ニューヨークへ。05年より、ニューヨークコレクションブランド「Jen Kao」にてデザイナー・メインパタンナーを務める。06年、07年に、初の2年連続「GEN ART International Design Competition」グランプリ受賞。09年、JFW主催「SHINMAI Creator's Project」選出を機に帰国。10-11年秋冬シーズンより、東京コレクションにデビューし、株式会社「212」設立。上海、台湾、韓国、サウジアラビア、ドイツにてランウェイショウを発表。12年、「DHL Award」受賞。13年、メルセデスベンツユニホームデザインを担当。パティ・スミス、フロー・ライダーなどのCDジャケットやPVの衣装も手掛ける。14年Hanae Moriのデザイナーに就任。
ファッション界に新しい旋風を巻き起こす新進気鋭のクリエイターたち。次世代を担う彼らのクリエイションとは?ファッションで目指す世界観とは?
「エー ディグリー ファーレンハイト」のブランド名でグローバルな活動を続ける天津憂氏。ブランド名の由来は“温度”だ。日本で使用される摂氏は“自然”が基準の温度の単位、一方、アメリカで使われる華氏(DegreeFahrenheit)は“人”が基準。自分の温度感でデザインするという意味合いに、アジア、アメリカ、4月生まれ、血液型、そして自身のイニシャルなど、本人にまつわる“A”を頭に添えて名付けられた。
毎シーズンのコレクションも温度に着目したテーマを掲げている。例えば15-16年秋冬コレクションは、蜃気楼が生じる「8F°差」という気温差をテーマに展開した。また、16年春夏コレクションでは、「スモーク」の温度感をテーマに、ジャガード柄や桜チップのモアレ柄をテキスタイルに落とし込んだラインアップがお目見えする予定だ。
「音楽もそうですが、眼に見えないものを表現することは、人の想像をより掻き立てる。物質、現象などの変化に常にかかわる温度は、固定概念に縛られることなく、自分の考え方や方法でクリエイションの可能性を無限に広げていけるテーマですね」
学生時代から衣装デザイナーの活動を始め、卒業後の04年に単身ニューヨークへ。パターン技術があったおかげで、すぐに仕事が舞い込んだ。05年には「Jen Kao」の立ち上げに参加する。欧米ではシーズンごとに契約交渉を行うことが一般的。デザイナーと共に服づくりをしていく中、自身のデザイン力はもちろん、プレゼンテーション力も鍛えられた。
帰国後は若手デザイナーのスタートアップをサポートする「文化ファッションインキュベーション」の支援を受け、渋谷に拠点を構える。これが日本での地固めを早めてくれたと語る。
「ここにいると事業支援に関する多くの情報が得られる。おかげでクォリティの高いコレクションが行えています」
苦労したのは生地メーカーや縫製工場探しだった。日本でのネットワークがなかったため、自分で尾州、北陸など直接産地へ足を運んで交渉した。今ではショーのための生地の開発などで支援してもらうまでの関係となっている。
現在は東京コレクションのみならず上海、台湾、韓国、ドイツやサウジアラビアでもコレクションの発表を行う。ドイツでは「酸化鉄」をテーマとした。鉄は錆びる過程で熱を放出する。錆は劣化ではなく、年齢を重ねることで放たれる美しさと捉え、ランウェイにシルバーヘアが印象的な高齢の女性モデルを登場させた。また、サウジアラビアで好評を得たコレクションのテーマは「揮発性」。漆黒のドレス、アバヤの中から鮮やかなオレンジの服が現れた。
「今、場所を選ばず、様々な国で自分のクリエイションを伝えていけることが楽しい」
次々と生み出されるクリエイションは世界中に新しい刺激を与え続けてる。