業界で活躍する方々に、ファッションに関する様々な意見を聞くインタビュー
久保雅裕
1963年、東京都生まれ。法政大学社会学部卒業。90年繊研新聞社に入社。アッシュ編集室長・パリ支局長などを歴任し、22年間勤務。大手セレクトショップのマーケティングディレクターを経て13年に独立。『Journal Cubocci ( ジュルナル・クボッチ)』の発信、講演・執筆、及びコンサルティング、大学准教授などを務める。パリでの合同展出展サポートや日本ブランド合同ポップアップストアの開催、国内での合同展「ソレイユトーキョー」の開催など、若手クリエイターを精力的に支援する。
昨今、大手アパレル企業の業績不振などがニュースになり、日本のファッション界も大きな転換期を迎えています。この 20年間の業界を振り返ってみると、1990年代半ばまでは国内に中・高級品を購入する分厚い消費者層が存在していたため、日本のアパレルメーカーは、それだけで経営が成り立っていました。そんな売り手市場だった日本に、グローバルSPA(製造小売業)が次々に参入してきた。日本のアパレル産業は、川上(素材メーカー)、川中(生産工場)、川下(小売店)と、縦軸で分業化されていましたが、この分業を自社で一括化することでコストを下げ、国際的な競争力をつけて参入してきたのがグローバルSPAです。それに対抗して生き残るために、国内では、アパレルが小売業に進出して"店持ちアパレル"となったり、小売店がオリジナルブランドを展開したりと、お互いが隣の領域に踏み込んでいったという流れがありました。
こうした構造変化に加えて、少子高齢化で国内の消費者が減っていくため、世界に出ていかざるを得ない。政府も、アパレルを輸出産業にしていこうと、海外販路開拓の支援を行うようになっています。
現在、中国人の爆買いで市場が活況といわれていますが、主に恩恵を受けているのは都市部の百貨店で、非常に限定的です。私の知っている百貨店関係者は、すでに東京オリンピック後に外国人観光客が減少する状況を"21年問題"として見据え、サテライト店の展開や、オリジナルブランドの強化及び海外卸しなど、既存の業態にこだわらない新規事業に乗り出しています。
大きな視点からいえば、こういった数々の変化が進むファッション業界の未来に必要となるは、これまで以上に日本のクリエイションを世界で買ってもらうためのインフラ整備でしょう。海外の販路を開拓する展示会出展や店舗出店はもちろん、越境ECを支えるIT決済の仕組みなど、バックアップ施策を国として強化していくことです。また、国内ではファッションに敏感な中間購買層を醸成すること。日本でファッションが売れなければ、クリエイションも育ちません。日本がかつてファッション先進国になれたのは、90年代半ばまで、中・高級品が売れる潤沢な中間層が存在したからです。ところが、バブルがはじけてそうした中間層が減少し、年収300万円以下の非正規雇用者が増えていった。これが、価格の安いグローバルSPA一辺倒になる要因にもなっているといえます。
今、何より怖いのは、ファッションにかけるお金がない自分を納得させるために、「ファッション好きは、ある意味オタクだ」という風潮が広がり、さらには「ファッションにお金を使うのはカッコ悪い」という認識が生まれることです。70年代、80年代のファッション業界は盛り上がっていましたし、一財を築けるドリームがありましたが、今はファッションで自立していくのは大変な時代だと思います。ですが、新しい流れは常に生まれています。ハンドメイドは新しいCtoCのマーケットをつくり出しはじめていますし、今後は3Dプリンターの登場で異業種のデザイナーがファッションの世界に入ってくる可能性もある。ファッションにはこれまで出合ってないものと出合うという面白さがあるからこそ、新たな付加価値を創造できる産業なのだと実感しています。これからのデザイナーはつくることだけでなく、販売・宣伝を含めバランスよくブランディングし、貪欲に新しい流れをつくり出す姿勢が求められているのではないでしょうか。