業界で活躍する方々に、ファッションに関する様々な意見を聞くインタビュー
石津 祥介
1935年、岡山県生まれ。VANの創業者である石津謙介の長男。明治大学文学部を中退後、桑沢デザイン研究所を卒業。婦人画報社(現ハースト婦人画報社)の『MEN'SCLUB』編集部を経て、60年、株式会社ヴァンヂャケットに入社。主に企画・宣伝に携わり、役員を兼務。6 5 年に写真集『T A K EIVY』を著作。日本メンズファッション協会常務理事、日本ユニフォームセンター理事を歴任。現在は、アパレルのブランディング、衣・食・住関連の企画などに携わる。
私のキャリアは、男性向けファッション誌『MEN'S CLUB』の編集からスタートし、その後、VANの経営に携わってきました。1950年代は、日本の男性がファッションに夢を抱き始めた黎明期。『MEN'S CLUB』が話題をつくり、VANがアイビールックを広めるという相乗効果で、うまく当時の時流に乗り、男性ファッションの新しいブームをつくりだしました。
こうしたブームの根底にあったのは、男性が持っている"目立ちたい"とか"カッコよく生きたい"という欲望。つまり「異性にモテたい」という根源的な欲求からおしゃれをしていたのです。そうしたニーズを抽出し、牽引していくのがファッションビジネスであり、それがこの50年近く続いてきました。だから、人々は少々暑くても、寒くても、重くて動きにくくても、我慢しておしゃれな服を着ていたわけです。
ところが、最近は暖かい、涼しい、軽いといった新しい機能性を重視したような実用的な服が売れています。こうした服にはこれまでのようなおしゃれに対する意識が込められていないように思うのです。異性にアピールするために着る服の、対極にあるのが実用服。日本のファッション感覚のこうした変化を見ていると、日本のファッションというものが、「モテる」ための役割を担ってきた時代が、終わったのかもしれないという気がしています。
意外に思うかもしれませんが、生前に父・石津謙介がユニクロを見て「私がやりたかったことだ」と言っていました。実は、かつて1950年代にVANが手がけてきたのは実用服なのです。アイビーは、アメリカの大学生が通学に着ていた実用服。ですが、当時の日本では、“おしゃれな服”に分類されてしまったのです。確かにユニクロの定番商品は、トレーナーやチノパン、ボタンダウン、Tシャツなど、VANが得意としていたアイテム。父がアメリカから持ち込んだ実用服が、かつては"おしゃれ"になっていきましたが、日本人のファッションレベルが上がった今、ユニクロによって実用服という本来の姿に戻ったといえるでしょう。時代背景によって、ファッションは変わっていくんですね。
これまで日本人は外国から多くのものを吸収してきました。ですが今や十分に吸収したといっていい。これからは日本独自のものをどう見つけていくかにかかってきます。ファッションで日本が世界に誇れることを挙げるなら、四季がある国で服づくりをしてきたこと。四季に合った服を着分ける、という意識が日本のファッションを育てたといってもいい。近年は、近代化や温暖化が進んで季節を感じる場面が減っていますが、四季を生かしたファッションで、寒い国には冬服を、暑い国には夏服を売り込んでいく戦略もあるかもしれま
せん。
これからはそういった日本らしさを大事にしながら、優れた人たちを育てていくことが大切になってきます。ファッションの感覚的なレベルでは海外にまだ勝てないかもしれませんが、機能性は頭の良さで戦える。そこが勝負どころかもしれません。近年の日本のメーカーでは、機能性をカジュアルウエアに盛り込むことに成功した。これをさらにファッション性の高い分野で成功させるのはまだ50年先になるかもしれません。ですが、そういったことを考えていくことが大切なのではないでしょうか。