ブランドを作り上げたメンバーが語るブランドへの思いとその成功の軌跡
株式会社narifuri
〒150-0021
東京都渋谷区恵比寿西2-5- 2 今村ビル2F
2007年創業、ジャケットやシャツ、パンツなどのアイテムを幅広く展開し、自転車アパレルブランドの草分けとなった「narifuri( ナリフリ)」。恵比寿とニューヨークに直営店を構えるほか、国内約50店のセレクトショップが商品を取り扱う。
[ブランドヒストリー]
2007年8月、「自転車アパレルでありながら、自転車らしくないブランド」として創業。09年、FRED PERRYとのコラボレーションを開始・発表し、現在も売れ続ける定番商品が生まれた。10年、ブリヂストンサイクルとの協業で自転車ブランド「HELMZ」を立ち上げる。11年8月、恵比寿に、15年7月、ニューヨークに直営店をオープンした。
暖かい、涼しい、洗える、伸びる、丈夫、速乾、撥水といった自転車に乗ることを想定した機能性と、「自転車を連想させない」デザインの両立がナリフリのコンセプトだ。創業者は米国でファッションマーケティングを学んだ小林一将。本人は「熱心な自転車愛好家ではない」と言うが、自転車に乗る人が快適に着られる服がないことに着目。「自転車×ファッション」は独自ブランドを確立するための戦略だった。
定番のウインドブレーカーからビジネススーツまで幅広いアイテムを揃え、自転車ユーザー以外からも高い支持を得ている。小林によれば「9年前の創業時から売れ続けている商品をひたすらアップデートしている」状況だ。
「ウインドブレーカーにしても見た目の変化はありません。細かい仕様の変更で動きやすくなったり、ほつれにくいものになっているだけ。着てみて素直にいいなと思える、自然な形での改良を心がけています」(小林)
2015年秋冬からは通勤着に特化したライン「Extreme commute」を発表。ナリフリの機能性を改めてビジネスシーンに提案している。同年6月にはニューヨークに直営店をオープン。業績も好調、だが「ナリフリらしさとは」という話題になると、創業者の口はなぜか重くなる。
「経営者としてブランドが進むべき方向性を示すことはできるのですが、ナリフリはこれなんです、という部分をうまく説明できない。なにしろこれまで世の中になかったものですから。創業以来ずっと肌感覚でやってきたようなところがあります」(小林)
「自転車」というわかりやすいキーワードがあるものの、「自転車用」をことさら謳うことはしない。実際、自転車に乗らない人も機能性やデザイン性で購入していく。確かに、こういったブランドを一言で伝えるのは難しい。創業からのメンバーであり、現在はセールス担当の市村公人が補足する。
「服を見て、袖を通してブランドを理解してもらいたいと思い、百貨店や空港でのポップアップショップなど、これまでにないチャネルでプロモーションしています。僕らやバイヤーさんたちよりお客さまのほうが柔軟で理解力がある気がします」(市村)
「とにかく、普通のものづくりではない」と小林。確かに、あちこちに破格が見られるブランドだ。服がつくられていくプロセスも一様ではなく、企画を手掛けているはずの小林に尋ねても「その場のノリ」「すべて即興」と摑みどころがない。創業間もない頃、高機能を求めてわざわざオリジナルの生地を自作したのも「洋服はそうやってつくるものだと思い込んでいた」から。「ものづくりにかけては、僕はポンコツです(笑)」と自嘲するほどだ。
それでも売れる服が出来上がるのはデザインと生産管理、PRを担当する松井達志の手腕によるところが大きい。かつてナリフリ内部には生産機能がなく、OEMに委ねていた。そのOEM先が松井の前職場だったのだ。小林の即興を、松井が商品に落とし込む。
「まず『こんなことやりたい』という小林のビジョンを僕がヒアリングし、その場でデザイン画を描いたりしながら、ビジョンの着地点を探っていきます。『これはナリフリらしい』となれば、パタンナーや生地工場、縫製工場に声をかけていく。デザインというより、編集している感じですね。小林の言葉から部品を拾い集めて組み合わせ、一つの服のかたちにしていきます」(松井)
だが、これほど"らしさ"を説明しづらいブランドを、"らしさ"を維持させながら、育てていく事ができるものなのだろうか。
「よく勘違いされてるのですが、ナリフリは僕が好きなもの、着たいものをつくっているブランドではないんです。『ナリフリとしての正解をみんなでつくりましょう』というスタンスをというか...…。だから僕と松井が必死になって出したアイデアも、セールスする立場である市村が『ノー』と言えば、即ボツにします」(小林)
「ナリフリというブランドそのものに最終決定権がある」(市村)
「そう。僕らの頭の上にナリフリという生き物がいて、彼が全部のジャッジを下している。曖昧ではあるけれど、それは確かに僕らのなかで共有されている感覚なんです」(小林)
ブランド運営も「基本的に全部がライブ」と強調する小林。計画は「頑張ってもつくれない」。ニューヨーク直営店も、創業当時から決めていた「やりたいこと」の一つだったが、現在店長を務めている友人との出会いがなければ実現することはなかったという。
「即興はいつも人が起点になるんです。市村と出会ったからナリフリが生まれ、松井と出会ったからこういう服ができた。ニューヨーク店も同じで、予定と計画では僕らのように小さいブランドは出店できなかったでしょうね。これからおそらく多店舗展開を志向することになるのですが、それをどう実現するか、これから模索していきます。多分、誰も想像できないやり方になると思う。その時々に出会う人とやるだけですから。ずっと即興もしんどいと思って、なんとか変えようとしてはいるんですけど(笑)」(小林)
ならば、市村と松井の目に映るナリフリの未来とは。
「自転車に乗る・乗らない、買う・買わないも関係なく、100人いたら100人がいいねと言ってくれるようにしていきたいブランドですね。機能性も高いけどデザインもいい。普段着としても使える。一見特徴がないようでいて、それゆえに万人に受け入れられるポテンシャルがある」(市村)
「いろんな切り口で戦えるブランドだと思っています。自転車と服、2つの世界を簡単に行き来できて、それこそ自転車雑誌にもファッション誌にも露出できる。また休日着としてもビジネスウェアとしても提案できて、異業種とのコラボレーションもしやすい。洋服だけのブランドにはできない表現がきっとあると思うんです」(松井)
無計画を自認する小林にも、絶対的な自身を持って予見する未来がある。「10年後にはこういうブランドがアパレルのメインになる」。ナリフリの服が持つ機能性が当たり前のものになり、あらゆる服に搭載される日がくるということだ。「そうなればナリフリのことも説明しやすくなるでしょうね」。
すでに同ブランドのスタッフたちの日常着はナリフリばかり。「快適すぎてほかの服が着られなくなった」のだそう。同じセリフを誰もが口にする時代を、小林は確信している。
本文中敬称略
「デザインは勉強したことがないし、服づくりの実務は何もできない。あまりに独特な仕事のやり方なのでほかの会社では働けない」と笑う小林氏。「でも経営者の役割はブランドの方向性を決めること。こういう感じでいきましょうというストーリーを考えることです」
CEO
narifuri代表。ニューヨークにてファッションマーケティングを学んだ後、イタリアブランドのPR、営業を担当。帰国後、アパレルメーカーにて営業、生産管理を経て独立。2007年、narifuriを設立。自身は「特別、自転車愛好家ではない」と言うが「当時は自転車に乗る人が快適に着られる服がなかった」と戦略的にブランドを立ち上げた。
卸先への営業とイベントプロモーションを担当。自転車ユーザー以外からの評価を吸い上げるため、百貨店など認知度の高いスペースでのPRを仕掛ける。
「羽田空港内でもポップアップを展開しました。搭乗するまでのわずか10~15分でどう評価されるか見てみたかった」
取締役
専門学校でビジネスホスピタリティを専攻。セレクトショップでのマネジャー兼バイヤーを10年経験し退社。小林代表の独立時に、共通の知り合いの紹介でnarifuriへ入社。「彼のビジネス的な嗅覚に惹かれた」。リテールセールスと百貨店やショップへのイベントプロモーションを担当する。
narifuriの生産機能を担う松井氏。「僕の優先順位はデザインよりも服としての実用性。ハードに着こなすお客さまも多いので、それに耐えられるかを意識します」。FRED PERRY、ブリヂストンサイクル、DESCENTE、LAVENHAMなど多岐にわたるブランドや企業とのコラボも推進。
高校卒業後フランスへ留学。パリでファッションデザインを学び、複数のパリコレのメゾンで修業したのち、国内のコレクションブランドにてパタンナーを経験。narifuri入社後はデザイン、生産管理、PRを担当する。以前は生産機能を内部に持たなかったnarifuriだが、松井氏が一から服づくりの体制を構築した。