ブランドを作り上げたメンバーが語るブランドへの思いとその成功の軌跡
株式会社オンワード樫山
〒103-8239
東京都中央区日本橋3-10-5 オンワードパークビルディング
1902年、Jacobi PRESSがアメリカ東部のコネチカット州ニ ューヘブンに創業。その後、74年に日本市場へ進出し、86年 にオンワード樫山が買収。創業から100年以上経つ現在も、 新しいラインを展開しながら進化し続けている。
1902年 アメリカ東部、コネチカット州ニューヘブンに誕生。
創業者はJacobi PRESS
1940年代~1950年代 ブランドが開花。アイビーリーグと共に歴史を歩む
1974年 日本市場で販売開始
1986年 株式会社オンワード樫山が買収
2011年 「J.PRESS RED LABEL」誕生
2012年 アメリカで「J.PRESS YORK STREET」誕生
「これはJ・プレスです」かつてアメリカのブッシュ大統領が就任式で、新聞記者から「そのスーツはブルックスブラザーズですか」と聞かれた際の回答。この逸話は、J・プレスが、着る人に自信を与えるブランドであることを象徴している。創業以来、アイビーリーグと共に歩み、アメリカのエリートたちから愛されたJ・プレス。控えめでありながら心の強さを感じられる「アンダーステートメント」であることに加え、誇らしさを提供してくれるこのブランドは、100年の時を超えて、多くの人々の憧れとなった。そのJ・プレスでクリエイティブディレクターを務める竹嶋幹人も、かつて同ブランドに憧れた一人。小学校からVANジャケットのファンで、『メンズクラブ』を愛読し、アメリカに住むことを夢見ていた。そんなトラッド好きな少年だった竹嶋から見ても、J・プレスは当時のアイビーブランドの中で別格の存在だったのである。「若い頃の私にとって、J・プレスはとても高価なブランドで、簡単には買えませんでしたからね。とにかく憧れの存在でした」1985年、竹嶋はセツモードセミナー卒業後、株式会社オンワード樫山に入社した。MDとしてメンズカジュアルを担当しながら、先輩たちから、J・プレスの話をよく聞いていた。同社を一度退職した竹嶋は、在職中に得た知識を生かし、他社で新規ブランドの立ち上げや、コンサルティングの経験を重ねる。その後、2006年に同社へ戻り、J・プレスのクリエイティブディレクターに就任した。少年時代から憧れたブランドに、やっと辿り着いた竹嶋が感じたのは、やはりそのブランドの偉大さだ。「様々なキャリアを積んで戻ったので、自信がありました。でも、実際にはその厳しさに驚かされた。J・プレスという冠のあるブランドが目指す売り上げにも、企画内容にも、すべてにおいて責任の大きさを感じました。今でもうまくこなせていないかもしれません。まだまだ勉強中です」週末になると、下北沢や高円寺などの古着屋を巡り、トラッドのルーツである英国製の服を探して素材や仕立てを研究する。そして面白い服を見つけると、購入して解体してみることもあるという。トラッドへの貪欲な探究心を絶やさず、そこに今らしさを加えていくことで、現代のJ・プレスのデザインを生み出している。
J・プレスに憧れていたスタッフは、竹嶋だけではない。憧れる立場から、そのブランドの歴史と伝統を継承する立場へと、成長した仲間たちがいる。チーフデザイナーの熊本鉄兵、エリアマネージャーの飯野貴浩、MDの脇村健太郎は、互いに情報共有を行い、共に今のJ・プレスを支えているメンバーだ。「歴史あるものを継承して長く続けていくには、進化が伴う。その進化とは、時代性だと思う。時代に合った進化を表現していくのは、デザイナーにとって一番大切な仕事」と語る熊本は、J・プレスの最盛期をリアルに体験していない世代である自分たちが、なぜデザインするのかを、常に考えている。そして、控えめながらも時代性を意識し、自分の中にある感性をブランドに表現していく。「ある意味、J・プレスはとても気を遣うブランドです」という彼の言葉は、100年以上の歴史の重圧に対するメンバーたちの緊張感と誇りを感じさせる。「担当するエリアには、私より年上の店長が大勢いる。それぞれが持っているJ・プレスの長い歴史や逸話を若手ファッションスタイリスト(スタッフ)にしっかり伝えて、ブランドの思いを引き継いでいくことも大切」と話す飯野は、自身も11年間の店長時代に、先輩や顧客からJ・プレスの魅力を学んだ。長く愛用してくれている顧客は、「昔はこうだった」と、飯野の知らないJ・プレスの歴史を教えてくれる。そうして少しずつ積み重ねた知識を生かしたうえで、いつもと違う魅力を引き出す「ちょっと冒険させる」コーディネイトを提案するようになり、ファンを増やしていった。「新しくファンになってくれたお客さまに何度も来てほしい」という飯野の思いを、現在、担当エリア20店舗約70名のファッションスタイリストにも伝えている。「入社当初は他ブランドで営業をしていたが、年配のお客さまの多いJ・プレスを、もっと幅広い世代に広げていきたいという使命感に駆られた」と、脇村は異動当時の気持ちを振り返る。自ら志願したJ・プレス。次世代に継承していくべく、日々、街の風景や人の変化を観察し、次の企画に取り入れているという。「J・プレスは、父がよく着ていたブランドです。現在、お客さまは、年配の方が中心。ブランドの歴史と共に年齢層は上がる一方で、このままではブランド自体が死に絶えてしまう。継承していくことは、僕たちの使命なんです」それぞれの立場で、J・プレスの歴史の重みを感じ、その伝統を大切に引き継いでいくメンバーたち。その姿に、竹嶋は大きな期待を抱いている。目標は、1980年代初頭、『メンズクラブ』や『ポパイ』の表紙を華々しく飾っていた絶頂期に返り咲くことだ。
昨今は販売チャネルの多様化が進み、ブランドにとってお客さまとの接点づくりも大きな課題と言われている。メンバーたちは新たなスタイルを求めて突き進む。 「お客さまに二代、三代と家族で使ってもらえるブランドに育てていきたい」という竹嶋の思いを実現する打開策の一つが、「フラッグシップショップ」をつくるという目標だ。 「J・プレスの得意なアイテムや素材、サービスを新たなお客さまに伝え、信頼・安心を得ていきたい。また、昔からのお客さまにも改めてJ・プレスの全体像を見ていただけたらと思う。私たちにとっても、非常に楽しみで、大きな挑戦です」 かつて憧れだったブランドを継承する立場となった彼らは、まさに誇りを持って挑戦を続けている。100年以上の歴史を刻んできたJ・プレス。今、新たなステージの幕が開けようとしている。
クリエイティブディレクター就任から9年経つ現在も、ブランドに尊敬の念を抱く竹嶋。スタッフに対して、厳しく叱ることもあるというが、周囲から届くのは感謝の声だ。「竹嶋が指導するのは、日頃の掃除や挨拶、笑顔。そこから学ぶことは多い」(飯野)
J.PRESS事業本部 メンズ商品部 メンズ商品課
クリエイティブディレクター
1985年入社。「絵が描けるMD」として活躍。その後、一度退職し、新規ブランドの立ち上げやコンサルティングの経験を経て、再び同社へ。現在は「J.PRESS」のクリエイティブディレクターとして、ブランドを牽引している。休日は古着屋を巡って過ごす。
今年チーフとなり、それまで苦手だったコミュニケーションも積極的に取るようになった熊本。「デザイナーとして、人にものを伝えることは大事なこと。僕たちの世代は、若い力を団結していかなきゃならない」。目標は、竹嶋を越えていくこと。
J.PRESS事業本部 メンズ商品部 メンズ商品課
クリエイティブチーフデザイナー
2006年入社。新規ブランドのデザインに1年間携わり、その後「JOSEPH HOMME」を経て、3年目に「J.PRESS」へ異動。14年からチーフデザイナーとして、5人のチームをまとめ上げ、信頼関係を構築している。趣味は映画鑑賞。
飯野は販売を始めた頃、商品の知識を得るために本社へ通い詰めたという。エリアマネージャーとなった今、ファッションスタイリストのために情報を噛み砕き、わかりやすく共有する。「MDから見ても最近、現場の変化を感じています。企画サイドと売り場の距離が縮まった」(脇村)。
第三事業部門 東京販売第四部 営業二課
J.PRESS メンズ エリアマネージャー
2003年入社。「J.PRESS」のファッションスタイリスト歴12年。伊勢丹新宿店に店長として11年勤務し、13年、都内エリアマネージャーに就任。20店舗約70名のファッションスタイリストを束ねている。部署を超えてコミュニケーションを取り、知り得た情報をわかりやすく現場に伝えることを心がけている。
お客さまイベントにも携わる脇村は、ブランドを「文化」と捉え、次世代へ継承することを、自分たちの使命と考えている。「若い女性が彼氏のプレゼント用に商品を買ってくれた時は本当にうれしい」。街の「今」をウォッチし続けるのが日課だ
J.PRESS事業本部メンズ商品部 メンズ商品課
マーチャンダイザー
2003年に入社し、カジュアル系ブランドの営業として活躍。その後、父親も愛用しているという「J.PRESS」を幅広い世代に広げたいという思いから、自ら同ブランドへの異動を志願する。念願叶い、MDに就き4年目となる。