ブランドを作り上げたメンバーが語るブランドへの思いとその成功の軌跡
1976年、東京・原宿に6.5坪の第1号店をオープン。ファッションとライフスタイルにまつわるあらゆるものを世界中から仕入れて提案する、セレクトショップの先駆けとしてスタート。現在は日本、香港、中国、台湾、タイに約150店舗を展開し、国内外のブランドおよび、オリジナルブランドの幅広い取り揃えであらゆる年代の男女から支持されている。
1976年 BEAMS創業
1999年 「BEAMS PLUS」レーベル設立
2000年 旗艦店「BEAMS PLUS HARAJUKU」オープン
2008年 イタリアWP社へオリジナル商品の海外展開がスタート
2015年 秋冬コレクションとして<PLUS SPEC>を発表。
ニューヨークの高級百貨店
「 BERGDORF GOODMAN」での取り扱い開始
一言、血が濃いレーベルである。ディレクターと生産管理担当、ショップマネジャーと立場が異なる4人がそれぞれ「僕たちビームス プラスは」と話し始め、主語がブレない。アイデンティティが強固なのだ。
1976年、アメリカンライフショップとして産声をあげ、2016年には創業40周年を迎えるビームス。なかでもビームス プラスは「1945年から1965年までの黄金期のアメリカ」のファッションを継承するレーベルと位置付けられ、オリジナル、インポート、一点物のヴィンテージアイテム、雑貨などを揃える。レーベル設立は99年。ビームスのメンズカジュアルを統括するディレクターの中田慎介によれば、そのタイミングはひとつの"危惧"に由来する。 「当時はミックスカルチャーが市場を席巻した"なんでもあり”の時代。半面、ファッションの教科書が失われた時代でもあります。トラディショナルを現代に継承する場がなければ、ファッションが壊れる。その危惧から採算度外視でスタートしたのがこのレーベルです」
彼らのいう教科書とはすなわち、第二次世界大戦で勝利を収めた後に、政治、経済、スポーツ、文化、芸術とあらゆる面で栄華を極めた黄金期のアメリカ。それはまたファッションが"ユニフォーム"として確立された時代でもある。ワークウエア、スポーツ、ミリタリー、アメリカンラディショナル。それぞれの機能に基づいたデザインとディテールは、教科書と呼ぶに足る普遍的な美しさを宿している。
しかし、再現のみで終わるなら「古着、レプリカを買えばいい」という議論も可能だ。ビームス プラスの〝らしさ〞とは、ベーシックを守りながら現代にアップデートする点にある。
ディレクターの溝端秀基は言う。 「あの頃の〝無駄がない機能美〞を現代に落とし込むのが僕たち。でも今となっては必要のないディテールもある」
フィット感、ポケットの位置や大きさ、フードの有無など手を加える余地は無数だ。今シーズンは特に現代の都会を快適に生きるための"スペック(規格)"を満たすファッションを追求した。ダウンを内包し、保温性を高めたフライトジャケットが一例だ。
「"MAー1"のようなクラシックなデザインを守りつつ、それを2015年の感覚としてアップデートするなら、重さをカットするべきではないか。そんな議論から生まれた、暖かく軽いジャケットです」(溝端)
レーベルらしさのカギはその"アップデート"の質と内容だ。それを担保するのが年に2回開かれる大きな会議。レーベルの主要メンバー20人ほどが一堂に会し、商品の方向性について徹底的に議論する。シャツ、ジャケットなど、全アイテムに対し全員が「ビームスプラスとしてやらなければならないもの」「みんながやりたいもの」「今の時代にマッチさせながら表現できるもの」を提案、意見を戦わせるという。
立場が違う人間が集まる以上、当然意見はバラバラだ。長谷部慎之介らショップマネジャーはユーザーの生の声を吸い上げ、会議の場に届けている。「定番アイテムを微調整するだけでも『ここ変わったね』と反応してくださるこだわりの強いお客さまが多い。さらにパンツの裾幅や、ジャケットのシルエットといった細かい部分にも意見をいただくんです」。
生産管理担当の川渕康裕からは、素材やコスト面からの意見を提出する。「生産管理は、仕様書をただ商品化するというのではなく、その奥にあるイメージを表現することが仕事。そのためにディレクターが思い描くイメージをしっかり共有することも大事です。そうしないと『ビームスプラス』らしさが出ない」。
そして統括ディレクターである中田は「正しい歴史背景のもとにアップデートされているか」を重視する。依って立つのはあくまで黄金期のアメリカ。「こだわりを持っている分、決まらない時はとことん決まらない」というタフな会議になる。「でも」と中田が続ける。「決まる時は、満場一致でバチッ!と決まる。そういう商品は、お店での反応もすごい」。
聞けば、これも「1945年から1965年までのアメリカ」という共通言語を持つ人間の集まりだからだという。彼らはビームス プラスに配属された瞬間から、その真髄を叩き込まれてきた。例えば、観るべき映画や聴くべき音楽。古い雑誌の切り抜きや昔の通販カタログの束からは、その時代の日常生活の匂いまで立ち上ってくるようだ。
「映画は特に参考になります。名作と呼ばれる映画ほど歴史的事実に基づいたウエアがつくられていて、時代ごとのサイズ感やネクタイの細さ、えりの大きさがわかる。30年代なら『アンタッチャブル』、60年代は『卒業』だと教わります」(中田)
同じものを見聞きし、育ってきた彼らだ。故に、表面的な意見がバラバラでも、最終的にはバチッ!と揃う。やはり、血の濃いレーベルなのである。
08年、ビームス プラスのビジネス面において、大きなターニングポイントがあった。海外展開のスタートだ。イタリアWP社からスタートし、現在はカナダ、アメリカ、デンマーク、フィリピン、香港、イギリス、フランスの8カ国21店舗でオリジナル商品が展開されている。日本のレーベルが発信する「アメリカよりもアメリカらしい」アイテムに世界が注目しているのだ。
「一つには、ジャパナイズされたアメリカンカジュアルを面白がってくれているのだと思います。素材やフィッティングのアップデートが日本人解釈であると。もっとも、僕らは世界を驚かすような特別なことはしていません。オーセンティックを追求したブランドが少ないところで僕らが穴を埋められたのではないかと。海外バイヤーとの商談では、アイテム一つ一つに素材の説明やうんちくを求めてくる。以前にはなかったことです」(中田)
中田の言葉は謙虚だが、ある海外のバイヤーは「正しいものを学び、追求する日本人らしい姿勢と、アイテムに落とし込む編集力が凄い」と評す。今やビームス プラスはセレクトショップの枠を超え、世界に通用する独自の日本人らしいものづくりを確立しつつあるのだ。
15年の秋冬からはニューヨークの高級百貨店「BERGDORF GOODMAN」にも商品が並んだ。「海外展開を急ぐつもりはない」という中田も、これには破顔一笑だ。 「僕らはやっぱり、アメリカに憧れを抱いてきた。ニューヨークの一番店に商品が並ぶなんて夢のようなこと。一つの着地点、だと思っています」
現在はBEAMSのメンズカジュアル全体のディレクションを統括し、BEAMS PLUSの海外展開も担当する。「グローバルでの認知が進みましたが、海外展開を急ぐつもりはない。売り上げよりも、小さくてもいいからレーベルのマインドを共有してくれるショップと、長く付き合っていきたいです」
「BEAMSで働くこと以外は考えていなかった」という中田は、BEAMS PLUS HARAJUKUのオープニングスタッフとしてキャリアをスタート。その後バイヤーを経て2015年2月までBEAMS PLUSのディレクションを担当。
MD業務はアイテムに対して売れる・売れないのシビアなジャッジが要求される。最新トレンドを無視するわけでもないが、そこでもB E A M SPLUSらしい再解釈を忘れない。「ノームコアやジェンダーレスといった現在のトレンドも、『アメリカの45~65年』という時代設定の視点から、見て取れる部分もあったりするんです」
BEAMSのショップスタッフとしてキャリアをスタート。BEAMS UMEDAを経て東京に転勤。その後ショップスタッフを経て現在は
BEAMS PLUSのディレクションのほか、別注アイテム、MD業務、バイイングを担当する。
「同じ仕様書でも、3つの工場に渡せば3通りの顔の服になる」。定期的に工場に足を運び、その場でサンプルの仕上がりをチェック。「ディレクター、デザイナーが思い描いたイメージに、どれだけ近づけるかの勝負ですが、理想は彼らの意図以上のものをつくること。それに非常にやりがいを感じます」
BEAMS PLUSのアウターを主とした生産管理を担当。ディレクター、デザイナーから上がってきたパターンが「BEAMS PLUSらしい」ディテールに仕上がるかどうかは、川渕の双肩にかかっている。
「BEAMS PLUS」旗艦店のマネジャーとしてユーザーに最も近い場所にいる長谷部。「僕らの仕事は、お客さまに満足いただけることが前提で、アイテムのコーディネートの提案も大切にしています。このレーベルはずっとコンセプトが変わらない。だからこそ手持ちのカードでどれだけ期待してもらい、驚いてもらえるかが勝負。今シーズンと昨シーズンの服を組み合わせたり、様々な工夫をしています」
関西エリアのBEAMSのショップでキャリアをスタート。その後東京へ転勤しBEAMS PLUSを担当するスタッフへ。現在は「BEAMS PLUS HARAJUKU」のショップマネジャー。