ブランドを作り上げたメンバーが語るブランドへの思いとその成功の軌跡
株式会社三陽商会
〒160-0003
東京都新宿区本塩町14
1943年の設立以来、「真・善・美」の精神を企業活動のすべての規範とし、ファッションを通じて豊かな生活文化を創造する企業であり続けることを目指す。設立70周年を迎えた2013年、企業タグライン「TIMELESS WORK. ほんとうにいいものをつくろう。」を策定。
1942年 吉原信之が三陽商会を創業
1943年 株式会社三陽商会を設立
1946年 レインコートを販売開始
1950年代 「サンヨーコート」から「ダスターコート」「ササールコート」発売
1960年代〜1990年代 多数の海外ブランドと契約、販売開始
2013年 設立70周年を迎え、「100年コート」誕生
設立70周年を迎えた2013年、三陽商会は、生活者から愛され、必要とされる企業となるために、タグライン「TIMELESS WORK. ほんとうにいいものをつくろう。」を掲げた。戦後すぐにレインコートを製造・販売したことが、三陽商会の歴史の幕開けだ。そんな歴史の象徴となるようなアイテムをつくりたいという思いから誕生したのが、「100年コート」である。チーフデザイナーを務める揚妻文隆が、究極の定番コートをデザインするためのコンセプトに置いたのが〝原点回帰〟だ。
「創業者の吉原信之をはじめとする、先人たちの思いを一冊にまとめた社史『SANYO DNA』をプロジェクトメンバーで確認しながら、100年愛していただけるコートには何が必要なのか、丁寧に探っていきました。また、コートブランドの『SANYO』には、いくつかのアイコンモデルが存在します。1959年公開の映画『三月生れ』の主演女優ジャクリーヌ・ササールが着ていたコートをモチーフにした『ササールコート』もそのひとつ。人気を博した当時の絵型やアーカイブなどを参考にしてディテールに落とし込み、三陽の資産として受け継がれてきたものを全員で確認しながら、新しいオリジナリティを付加していきました」
そして、品質の高い国産素材を厳選し、縫製の現場である「サンヨーソーイング」と幾度となく擦り合わせを重ねていった。首周りの馴染みや着用感を左右するカーブの仕上げも、一枚一枚丁寧な手縫いによるまつり仕上げにこだわっている。コート専門工場として46年の歴史を誇る「サンヨーソーイング」だからこそ叶う縫製技術が、快適な着心地と美しいシルエットの両立を実現しているのだ。
「『100年コート』はディテールのこだわりから工程数が非常に多く、当初、工場から、〝こんなに複雑なものは縫えない〟という声があがりました。確かに、工場としても試練だったと思います。しかし、青森に工場を構えるサンヨーソーイングの周りには、コートブランドの『SANYO』の歴史を支えてきてくれた優秀な職人が数多くいます。ボタン付けなど様々なパーツを施すプロがいてくれたからこそ、高い基準の〝三陽クオリティ〟が保たれ、『100年コート』を生み出すことができたのです」(揚妻氏)
携わる多くのプロたちの確かな技術力、そして、ものづくりの精神にこだわり続けるひたむきな思いが注がれ、やっと特別な一枚のコート「100年コート」がこの世に誕生するというわけだ。
「100年コート」は、彼らにとって手塩にかけた我が子のようなものなのだろう。ゆえに、顧客の手元に届けた後、末永く着ていただく未来までを商品としてとらえている。「100年オーナープラン」もその取り組みのひとつ。購入顧客だけが登録できるサービスで、メンテナンス・サポート、商品情報などを提供している。
メンズデザイナーの片山潤は、「100年コート」を、「ひとつのメッセージとして考えている」と言う。
「現在、『100年オーナープラン』に登録されている約700名のお客さまの年齢層は20代から70代までと幅広く、男女比は2対1。このようにあらゆる年齢層から支持を得ているブランドはとても珍しい。私自身も時間があれば店頭に立ち、お客さまへ機能やこだわりをお伝えしています。様々な年代の方々に購入いただくたびに、我々がやってきたことは間違いなかったと実感しています。現在の『100年コート』が歳月を超えてファーストモデルとなり、まさに100年後の未来に、ブランドのアイコンコートになっていれば素敵だと思っています」
「宣伝もしないで3を売って喜ぶなら、宣伝して6を売って満足しろ」。創業者の吉原が発した言葉だ。宣伝販促に対する考え方は今も変わらない。MDの梅本祐助はこう語る。
「『100年コート』という〝もの〟ではなく〝こと〟を伝えていきたい。日本を代表するコートメーカーが提案するコートを突き詰めていくと、日本製へのこだわりに辿り着きます。これがブランディングの一番の柱。糸の生産者、生地を織る職人、縫製技術者など、コートづくりに携わるすべての人の思いも含め、ものづくりの精神を織り込んでいく。さらにテクノロジーを最大限に駆使し、時代性も兼ね備える。売れ筋を追うマーケットインではなく、日本流のものづくりを発信するプロダクトアウト型による究極の製品をつくり出せたと自負しています」
商品のよさを知ってもらう一番の方法は、実際に袖を通してもらうこと。そのためのマーケティングも、スタッフで意見を交換し、積極的に取り組んだ。事前にインターネットで欲しい服をリサーチしてから店舗で購入するユーザーが増えている今、ネットでの商品情報の打ち出し方が要となる。13年の販売開始前のタイミングでは、ファーストステップとして全4話からなるショートムービーをネット配信。商品コンセプトをわかりやすく伝えた。また、初年度と昨年の12月には、日本橋三越本店で裁断した際の余った生地でオーナメントをつくるワークショップを、昨年11月には伊勢丹新宿本店メンズ館で「100年コート+アート」のイベントを企画・開催。服をとおして顧客と感動を共有する新しい売場のスタイルを展開した。MDの石田和孝は今、顧客が気軽に足を運び、コートの試着ができる空間づくりの構想を練っている。
「これからマーケットは二極化していくでしょう。ネット通販がさらに発展していくと、逆に店舗とその空間は新しい価値となる。ネットで事前に情報を得た後、店舗に足を運んだお客さまをがっかりさせない、期待以上の空間づくりが必要になってくると思います」
昨年、メンズではステンカラーと呼ばれるバルマカーンコート、レディースではバルマカーンのベルテッド、ダブルトレンチのロング丈の新作を追加し、今年は海外での販売もスタート。東京オリンピック開催に向けて日本が注目を集め、外国人観光客が増える中、メイドインジャパンの「100年コート」にも追い風が吹いている。日本を代表するコートメーカーとしての誇りを持ち、未来に向けた〝タイムレス〟な価値を生み出す責任と喜びを感じながら、「100年コート」という彼らの〝子供〟は今、新たな成長と進化を遂げようとしている。
入社以来、コートブランド一筋。数千枚の絵型と何万着のコートをつくってきた揚妻。「トレンドに流されることなく、熟成させていく『100年コート』のデザインはやりがいのある仕事」。“SANYO DNA”を継承しながら確かなものづくりを目指す。(揚妻)
事業本部 ビジネス開発事業部
新規事業開発ディヴィジョン
サンヨーコート企画グループ
チーフデザイナー
京都で過ごした大学時代に魅了された友禅染めの世界が、テキスタイルやデザインの仕事を志すきっかけとなる。プレタポルテの会社を経て、1987年入社、「SOLEIL」のコートデザインを担当。2009年サンヨーコート企画のチーフデザイナーに就任以来、「100年コート」のデザインを統括する。
長年、メンズのアウターをデザインしてきた片山にとってコートは一番思い入れのあるアイテム。「紳士服には社会と着る人を結びつける要素がある。これからも社会服として時代性に合ったデザインを表現していくこと、そして価格以上の価値を生むことが使命です」(片山)
事業本部 ビジネス開発事業部
新規事業開発ディヴィジョン
サンヨーコート企画グループ デザイナー
コートデザインの仕事をきっかけに、2003年入社。「allegri」デザイナーを経て、12年3月「100年コート」プロジェクトのスタート直前にサンヨーコート企画のメンズデザイナーに就任。日本橋三越本店のライオン像生誕100周年記念のコートデザインも担当した。
日本を代表するコートメーカーのDNAを確実に継承していこうとする揺るぎない姿勢の梅本。「70年間培ってきた三陽商会のものづくりの精神や確かな技術力が、我々のストロングポイントです。これからもより多くの方へ、様々なかたちの感動を伝えていきたい」(梅本)
事業本部 ビジネス開発事業部
新規事業開発ディヴィジョン
サンヨーコート企画グループ 主任
2003年入社。店長・トレーナーとして販売を経験した後、10年にサンヨーコート企画メンズのMDに就任。ブランディングから販売促進まできめ細かな企画力と実践力で取り組み、さらに愛情を注ぎながら「100年コート」の魅力を発信する。
「『100年コート』のプロジェクトに携わることができて、とてもラッキーだと思ってます。責任も伴いますが、やりがいもあります。コートそのものの商品力には自信があるので、お客さまに店舗に足を運んでもらい、袖を通してもらうまでが勝負です」(石田)
事業本部 ビジネス開発事業部
新規事業開発ディヴィジョン
サンヨーコート企画グループ 主任
2008年入社。海外ライセンスブランドの店頭販売、「TO BE CHIC」 の営業、「COTOO」の企画アシスタント、会社の制度で上海への語学留学などを経た後、13年7月、サンヨーコート企画レディースのMDに就任。新しい売場のスタイルや空間づくりを常に提案している。