ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
伊作先生は、私の絵を見て「いいね。自分の好きなことをやった方がいい」と言ってくださり、18歳を待たずして特別に文化学院に進学できることになりました。文化学院は当時としては珍しく男女共学。母は、女子校から自由な校風の文化学院に入れることに葛藤があったようです。でも、母も銀座店を始めてから文化学院に通っていて、伊作先生をとても尊敬していましたから、結果お咎めなし。
洋服への関心が急速に高まってきたのもこの頃です。飛び級で入学したので、同級生は3歳年上で、皆すごくお洒落。何しろ、菊池武夫や稲葉賀惠が同期ですから(笑)。タケさんはステッキ片手に三つ揃いのスーツを着ているし、稲葉さんは落下傘のようなスカートをはいているの。お昼になると皆どこかの喫茶店に行っちゃうから、私だけ院長と一緒に食事をしていました。
3年で文化学院を卒業し、母の店を手伝いながら伊藤すま子さんのアトリエに1年通い、デザイナーとしての基礎を学びました。でも、並行してお料理やバレエの習い事もしていて、まだデザイナーになるという意思は固まっていませんでした。
19歳の時、「自分が気に入った服を着たい」という思いでデザインした服を、母が店で開催しているショーに何点か出してみたんです。そうしたら、雑誌が私の服を取り上げてくださって。もちろん嬉しかったのですが、当時は雑誌のイラストを描いたりしていたので、まだ絵を描きたい気持ちのほうが勝っていたように思います。
ただ、その後もショーでの作品発表は続けていて、1965年頃にはショーの前半は私の服、後半は母の服という2部構成になっていきました。当時はイベントの演出家などいなかったので、自分であれこれ考えてショーを演出することが、とても楽しかったのを覚えています。
トリイユキ鳥居ユキ
1943年 東京都に一人っ子として生まれる
1958年 日本女子大学付属中学校から文化学院美術科に3年飛び級で特別入学
1961年 文化学院を卒業。伊藤すま子デザイン研究所で、カッティングとデザイン画を学ぶ
1962年 母・君子のショーで作品を発表し、デザイナーとしてデビュー
1972年 劇団四季の舞台「フィガロの結婚」の衣装70点をデザイン
1975年 パリ・コレクションに初参加(~2008年)
1985年 パリのギャラリー・ヴィヴィエンヌにブティックをオープン
著書「きもの、着ましょ。」(文化出版局)を出版
1994年 メンズライン「ユキトリヰ オム」を発表(~200年)
2005年 パリ・コレクション30周年を記念し、国立代々木競技場第二体育館でショーを開催
2008年・2010年 上海ファッションウィークに招聘デザイナーとして参加
2011年 デザイナー生活50周年。10月に100回目コレクションを発表
2014年 著書「YUKI TORII-STYLE BOOK」(朝日新聞出版)を出版
AWARD HISTORY
1976年 第20回日本ファッション・エディターズ・クラブ賞
1988年 第32回日本ファッション・エディターズ・クラブ賞
1995年 第13回毎日ファッション大賞受賞
第38回日本ファッション・エディターズ・クラブ賞話題賞
2005年 第23回毎日ファッション大賞特別賞