ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
生まれは東京の早稲田で、幼稚園から中学まで日本女子大附属に通っていました。当時の人気女性誌『ソレイユ』の編集長で、ファッションデザイナーでもあった中原淳一先生のお嬢さんが学友で、学校近くにあった先生のアトリエによく遊びに行っていました。
幼稚園に入ったあたりから母と一緒にオペラや歌舞伎を観に行き、印象に残った帯や着物の色を描いていたような記憶があります。絵を描くことはその頃からずっと大好きな趣味です。
母は私が3歳の時、祖母のすすめもあって早稲田に「御仕立所」という洋裁店を開業し、スタイルブックを見ながら注文服を仕立てていました。その後、店を銀座に移して「トリヰ洋装店」を出店。母がつくった服をマネキンに着せて飾ると売れるようになり、まさにプレタポルテの時代が幕を開けたタイミングだったと思います。
母の仕事を間近で見て、「たくさんの人の手を経て、服をつくり上げていくのは大変だな」と子供心に感じていたせいか、将来なりたいと思っていたのは画家です。だって、画家なら一人で作品を完結できるでしょう。
子供の頃にどんな服を着ていたか、あまり覚えていないのですが、学校の軽井沢寮で夏休みを過ごした時の写真を見ると、ジーンズの裾の折り返し部分がチェック柄だったり、フレンチスリーブのトップスを着ていたり、結構お洒落だったなと(笑)。
中学生になると、古本屋で海外の雑誌を探しては買っていました。アメリカのインテリア誌に載っている素敵な柄のカーテンに憧れたりしてね。そのうち、米誌『Seventeen』や仏誌『MODE et MODE』などのファッション誌も愛読するようになりました。
15歳くらいから、母の生地の仕入れを手伝うようになったのですが、当時はツイードなど織物が主流の時代。暗い色ばかりで、全然楽しくないのです。そこで、問屋さんにいろんな色を提案したり、『Seventeen』誌を見せて「こんなチェック柄が欲しい」とリクエストしたりして、徐々にオリジナルの生地をつくってもらうようになりました。色見本にマッチ棒の先端を見せたこともありましたね。振り返ると、私がデザイナーになる環境を、母はさり気なく与えてくれていたのだと思います。
トリイユキ鳥居ユキ
1943年 東京都に一人っ子として生まれる
1958年 日本女子大学付属中学校から文化学院美術科に3年飛び級で特別入学
1961年 文化学院を卒業。伊藤すま子デザイン研究所で、カッティングとデザイン画を学ぶ
1962年 母・君子のショーで作品を発表し、デザイナーとしてデビュー
1972年 劇団四季の舞台「フィガロの結婚」の衣装70点をデザイン
1975年 パリ・コレクションに初参加(~2008年)
1985年 パリのギャラリー・ヴィヴィエンヌにブティックをオープン
著書「きもの、着ましょ。」(文化出版局)を出版
1994年 メンズライン「ユキトリヰ オム」を発表(~200年)
2005年 パリ・コレクション30周年を記念し、国立代々木競技場第二体育館でショーを開催
2008年・2010年 上海ファッションウィークに招聘デザイナーとして参加
2011年 デザイナー生活50周年。10月に100回目コレクションを発表
2014年 著書「YUKI TORII-STYLE BOOK」(朝日新聞出版)を出版
AWARD HISTORY
1976年 第20回日本ファッション・エディターズ・クラブ賞
1988年 第32回日本ファッション・エディターズ・クラブ賞
1995年 第13回毎日ファッション大賞受賞
第38回日本ファッション・エディターズ・クラブ賞話題賞
2005年 第23回毎日ファッション大賞特別賞