ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
エスモードの学生から「フランスでの就職活動は、自分のデザイン画を持ってメゾンを回るのが一般的」と聞き、「だったら、ものは試しで僕もやってみよう」と考えた。まずは有名メゾンを視察するため、バスで髙田賢三さんの店に向かったんです。その車窓から「TOKIO KUMAGAI」という看板を見つけた僕は、〝TOKIO〞を〝東京〞と勘違い。「ああ、免税店があるんだな」と(笑)。そして、賢三さんの店からの帰り道、〝その免税店〞に立ち寄ったら、店内にはズラリと服や靴が並んでいる。その時、初めて「かっこいい! 免税店じゃなかった」と気づきました。
当時の僕は熊谷登喜夫さんの存在を知りませんでしたが、現地では注目の若手デザイナーだという。「これも縁だ。彼のメゾンにチャレンジしてみよう」と考え、直接店を訪ねました。スタッフにしてみれば「いきなり誰?」ですよ(笑)。3、4回は不在だと断られ、毎回連絡先を置いて帰ると、本人からホテルに電話がかかってきた。あきらめかけていたのでビックリしましたが、すぐに会えることになりました。
慌ててホテルの部屋で服のデザインを何案か描き、持参すると興味を持ってくれたようで、「試験に通ったら考えよう」と。課題は、手渡された一冊の植物の本を参考に、絵と粘土でアクセサリーをつくることでした。早速作品を持っていくと、とても気に入ってくれて、なんと商品化が決定。そして、一緒にアクセサリー工房に行って発注した帰り道、「まずスタージュ(見習い)からだね」と、働くことを了承してくれたのです。
1カ月の観光旅行に出かけたパリで、トキオ・クマガイのメゾンを訪ねたことから、僕の運命は一変しました。初めて見た街並みの美しさに感激し、「ずっとパリにいたい」と思っていたので、ここで仕事ができることがうれしかった。
その後は、午前中はフランス語の語学学校、昼からはアトリエに通う毎日。仕事は、材料発注や買い物などの下働きです。アトリエには大きな机があって、僕の席はトキオさんの目の前。二人の間にある電話に出るのも僕の役目。いつもフランス語を直されて、つらかったな(笑)。言葉に苦労しましたが、半年ほどで日常会話は何とかなりました。
トキオさんからはデザインの課題が出され、たくさん描いて置いておくと「これはいい。これはダメ」と指摘してくれる。それを繰り返しながら、一緒に仕事をしていくうちに、どういう作品がいいのか、自分のどこがダメなのかが、少しずつわかってきました。
当時のトキオ・クマガイは、スタッフ15人程度(日本人は僕1人)の小さなメゾンだったので、縫製、パターン、生産など、服づくりの全工程に携わりました。上司はシャネルが現役で活躍していた時のモデリストを経験した人で、大いに鍛えられました。パターンを引き、生産管理をしながら、「工場につくってもらうパターンは、こうでなければいけない」という本当の意味での服づくりを体得できました。日本の学校でもひととおり習いましたが、実地で得た経験は大きかった。靴づくりも学びました。トキオさんの発想は、本当に自由。一見、冗談に聞こえるアイデアに対しても本気で取り組む姿勢にも非常に影響を受けました。
日々の仕事を確実にこなしていくうちに、徐々に責任ある仕事を任せてもらえるように。そして、83年に日本企業とライセンス契約してTOKIO KUMAGAI INTERNATIONALを設立したタイミングで、フランスの責任者となりました。
◎TOKIO KUMAGAI(トキオ・クマガイ)
靴デザイナー・熊谷登喜夫のブランド。COMME de GARÇONS、Yohji Yamamotoがパリコレに参加した1980年初めにはパリにブティックをオープン、パリで成功した日本人デザイナーとして名を連ねる。1987年に毎日ファッション大賞受賞
ながさわ よういち永澤陽一
1957年 京都に一人っ子として生まれる
1978年 三重県の日生学園高等学校(現:桜丘高等学校)を卒業
1980年 名古屋モード学園を卒業後、渡仏。TOKIO KUMAGAI ABC DESIGN PARISに入社
1988年 「TOKIO KUMAGAI」のチーフデザイナーとして、東京コレクションに参加
1991年 日本に帰国して、株式会社スチルを設立
1992年 「YOICHI NAGASAWA COLLECTION」を発表。同年、「無印良品」の衣料品ディレクターに就任
1993年 若者を対象とした「 NO CONCEPT BUT GOOD SENSE」を発表
1996年 97年春夏パリ・コレクションに初参加
1997年 日本アジア航空(JAA)のユニフォームをデザイン
2000年 イオン株式会社の「SELF + SERVICE」を総合プロデュース
2002年 スポーツブランド「NEW BALANCE」企画・プロデュース
2004年 東京地下鉄株式会社(東京メトロ)のユニフォームをデザイン
2005年 金沢美術工芸大学大学院ファッションデザインコースの専任教授に就任。エース株式会社のバッグブランド「Tabi」をプロデュース
2006年 イオン株式会社のTOPVALU衣料品部門をプロデュース
2007年 京都の町屋を改造したセレクトショップ「SHINA」をオープン
受賞歴
1994年 毎日ファッション大賞新人賞
2004年 毎日ファッション大賞受賞