ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
海外に出れば、顧客の体形も年齢層もバラバラで、ユニセックスは一切通用しません。でも一方で、それらの条件を飛び越え、今までにはない技法、例えばパッチワークの細かな服、色が変わる服、というようなほかが真似できない服であれば売れるという感触を得ることができました。また、海外のマーケットと取り引きしていくと、自分たちの服のポジションが、何となくわかります。ファッションビル1階の、メインのラグジュアリーコーナーに置かれるのではなく、各国で1つの店舗が、ほかにはないデザインの洋服として展開するというポジションです。まずは今後3年をかけて、そういうお店のなかで戦える能力を身に付けたい。
今、日本人デザイナーの服は、アジア各国のデザイナーの服に商品として押されている気がします。ラックの取り方も商品の納期の早さもプライス面も含めて。でも僕たちはそこで値段を下げたり、アンリアレイジの味を薄める、といった手法をとらずに、尖ったままでたくさんの人に届けたい。要は、今、尖っていると思うものも、年月が経てばそうでもなくなるということ。1シーズンの中から5着でもいいので、定番ラインにしていくことがこれからの目標ですね。
これから海外が僕たちのフィールドになっていくわけですが、最終的には世界で学んだことをどう日本に結びつけるか――そこを目標にしたい。僕らはずっと東京でやってきたブランドで、いつかは東京に戻ってくるタイミングがある。その時しっかり海外での認知度を得ておきたいし、日本に何かを還元したいと思っています。
ブランド設立から数えて24シーズン、もう何万着もの服をつくっている計算になります。それでもさらに自分を更新して戦っていかなければならないのがファッションの世界。常にノートにアイデアを書きとめ、いくつかのコンセプトを並行して進め、戦い続けるための努力は続いていく。ですが僕はむしろ、服づくりを始めた頃に見えていた景色、服に対して持っていたピュアな気持ちをどこまで〝引きずれるか〞を一番大切にしています。昔のノートを開けばファッションに対してキラキラしている自分がいる。今までにない服をつくり、何かを仕掛けようとしている自分。そういう気持ちが〝今〞と結びついた時に、いいものができる。本当は前だけ見て新しいことをやっていればいいのかもしれません。でも、ふと昔を振り返った時、自分の底にある渦巻いた何かを、ぎゅっと引き出せる瞬間があるんですよね。
もりながくにひこ森永邦彦
1980年 東京都国立市に生まれる
1998年 代々木ゼミナールにて英語講師・西谷昇二氏の授業で神田恵介を知る
1999年 神田と同じ早稲田大学社会科学部に入学。
京王井の頭線内でのファッションショーに衝撃を受け、服づくりを始める
2000年 ANREALAGEを開始
2002年 青山円形劇場でファッションショーを行う
2003年 早稲田大学社会科学部、バンタン研究所を卒業。
同年、ANREALAGEを会社化する
2005年 東京コレクションに参加
2011年 東京原宿に直営店をオープン
2014年 2015 S/S パリコレクションに進出。TBS番組『情熱大陸』出演
受賞歴
2005年 ニューヨークの新人デザイナーコンテスト
「GEN ART 2005」でアバンギャルド大賞を受賞
2011年 第29回毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞受賞