ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
服づくりの技術はなくても、ブランドコンセプトだけは早くから固めていました。「日常と非日常」。「アンリアレイジ」のブランド名は「A REAL -日常、UN REAL-非日常、AGE-時代」という意味からつくったものです。そのベースはやっぱりあの予備校の教室、そして電車のショーで目にした神田さんの服です。見慣れた景色が洋服一つでまるで違うものに変容する。そんな、日常にスイッチを入れる服をつくりたい。あの頃から、洋服にはすごい力があると信じ続けています。
学生時代は勉強よりもアルバイトよりも服づくりに没頭していました。バンタンの授業は週2回の夜間。毎回の授業に服を一着つくって持っていくことを自分に課していました。できるだけ早く周りとの差を埋めたくて、焦っていたんだと思います。
服づくりが商売になるという確信はまだなかったのですが、学生時代から自作した服は意外と売れていました。クラブでのファッションショーの映像とカタログを一緒に配って通信販売。価格は自分の時給を基準にして決めていて、ジャケットが8000円くらい。安いから売れるのは当たり前ですよね。でもある時、服の価格は自分で決めていいんだと気づいた。しっかり付加価値を付けられたら自分の服づくりはビジネスになるんだと。
同時に、東京コレクションの時期に合わせてファッションショーをやろう、そして自分たちの服を売るために会社を設立しよう、と手伝ってくれていたメンバーと話しました。そのメンバーというのは、今もプレスをしてくれている伊藤さんと、中学からの友人でパッチワークをずっとやってもらっている真木くん。結局最初のショーが東京コレクションとして記事になり、洋服の売り先も決まったので、3人でローンを組んで、大学を卒業した1カ月後の2003年4月に会社を立ち上げました。
3人がそれなりの収入を稼げるようになったのは06年ぐらいから。テーマである「日常と非日常」を表現するためのアイデアや技法を毎回変え、ほかのブランドとは違う球を投げ続けていた効果が出始めたのだと思います。
ブランドスタート時は、資金が乏しく、オリジナルの生地もつくれないので〝手〞を使うしかありませんでした。数百枚の布を使ったパッチワークや、5000個のボタンを縫い付けたジャケットなど、一着一着、時間を価値に変えるようなつくり方。ですが、パッチワークが2000パーツ、3000パーツとエスカレートしていく。これでは量産できません。そんな自分を追い詰めていくものづくりは、どこかでストップをかけないといけなかった。
そこから、作業時間と手数に頼るのをやめ、手を動かす代わりに人の何十倍も一着の洋服について考えるシーズンが始まるんです。具体的には09年春夏のコレクション「○△□」以降ですね。発表したのは球体、三角錐、立方体の形の洋服。素材は普通のものを使い、工場でも量産できて誰でも着られる、しかし誰も見たことのない形の服をつくるという方向にシフトしました。
その後もしばらくは新しい〝形〞を追求していましたが、ここ数シーズンは、ファッションとは異なる領域のテクノロジーや新素材を使った服づくりに向かっています。例えば紫外線に反応して色がピンクやパープルに変わる服、温度を常に32度に保つ服など。テクノロジーを洋服に落とし込むのはかなり大変ですが、それが面白い。半年に一度のコレクションのペースを維持しながら、新しいことを生み出すのは難しいですが、それでも新たな種をまき続けています。まく種が多いほど確率論的に服に生かせるものが生まれやすいし、自分が表現したい服の延長線上に、技術やテクノロジーが追いついてくるタイミングも出てくるんですよね。
もりながくにひこ森永邦彦
1980年 東京都国立市に生まれる
1998年 代々木ゼミナールにて英語講師・西谷昇二氏の授業で神田恵介を知る
1999年 神田と同じ早稲田大学社会科学部に入学。
京王井の頭線内でのファッションショーに衝撃を受け、服づくりを始める
2000年 ANREALAGEを開始
2002年 青山円形劇場でファッションショーを行う
2003年 早稲田大学社会科学部、バンタン研究所を卒業。
同年、ANREALAGEを会社化する
2005年 東京コレクションに参加
2011年 東京原宿に直営店をオープン
2014年 2015 S/S パリコレクションに進出。TBS番組『情熱大陸』出演
受賞歴
2005年 ニューヨークの新人デザイナーコンテスト
「GEN ART 2005」でアバンギャルド大賞を受賞
2011年 第29回毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞受賞