ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
オリジナルデザインのテキスタイルによる服づくりを特徴とする「minä」のルーツは、独立前に働いていた小さな会社にあります。そこは、生地からデザインし、洋服を縫い、ギャラリーを借りて売るまで、全部自分たちでやるところで、その会社にたどり着くまで、僕は縫製とパターンの仕事を経験してきました。そこで気がついたわけです、もう自分1人で服をつくれるじゃないか、と。
料理は食材を仕入れないとつくれないけれど、洋服は食材にあたる生地も自分でつくれる。だったら素材からつくらないと“もったいない”じゃないですか。そもそも僕は、“かたち”をクリエイションする能力がそれほどないと自己認識しています。独立した当時はデザイナーズブランド全盛で、服の“かたち”が強かった時代。でも僕はシンプル、プレーンなデザインが好き。だとしたら、生地から全部自分でつくらなければ、独自性が出ない。そう考えたのです。
一番大変だったのは、生地づくりを引き受けてくれる工場が限られていたことです。ロットも少なかったし、スタートしたばかりで実績もなく、売り先のあてもないようなブランドですから、信用もありません。「商社を通してくれ」と言われたりして、何度もほろ苦い経験をしました。
売り先の開拓も一からです。僕はバイヤーという職種も知らなければ、プレスは、アイロンかけのことかと思っていた(笑)。だから、誰に服を見せにいったらいいかも見当がつかなかったんですよ。車に服を積んで、1週間東北地方で営業してみたり、スーツケースに洋服を詰め込んでヨーロッパのショップを回ってみたりもしましたが……注文をくれるのはバイヤーであって、ショップの店員ではありませんよね。もちろん、1着も売れませんでした。
そのうちに展示会をすればバイヤーさんが来てくれることに気がつくわけですが、これはこれで1日いくらと場所代がかかるんです。搬入に1日かけるお金はないから、会場に「午前0時から貸してください」と無理なお願いをして、深夜に搬入して朝から展示を始める。あの頃は家賃3万円の家に住み、生活費も極限まで切り詰めて、生地を買うという暮らし。魚市場などでアルバイトしながら生計を維持するなど、ギリギリの状態が長らく続きました。
洋服の仕事だけで暮らせるようになったのは、2000年、東京の白金台に直営店を出してからです。きっかけは、伊勢丹の「解放区」や、ユナイテッドアローズ、ビームス、ベイクルーズといったセレクトショップで扱ってもらえるようになったこと。ユナイテッドアローズは当初、主要店舗のみの取引でした。でも、当時はバイヤーさんと直に話せる機会があり、生地ができあがるたびに持参して「こんな服をつくろうと思っています」とプレゼンしていたんですね。するとある時、「この服を全国展開したい」と言ってもらえた。ついに自分の服が全国に並ぶ!という実感がわいて、すごく嬉しかったです。以降、徐々に発注が増え始めて、ブランドも軌道に乗っていきました。
みながわ あきら皆川 明
1967年 東京都大田区に生まれる
1987年 文化服装学院服飾専門課程Ⅱ部服装科に入学
1989年 文化服装学院を卒業後、大西和子のメーカー「P・J・C」などに勤務
1995年 自身のファッションブランド「minä(ミナ)」を設立。東京・八王子にアトリエを構える
1999年 アトリエを阿佐ヶ谷に移す
2000年 アトリエを東京・白金台に移し、初の直営店をオープン
2003年 ブランド名を「minä perhonen(ミナ ペルホネン)」に改名。フリッツ・ハンセン社とのコラボレーションで、
「minä perhonen」の生地をまとった家具、エッグチェア、スワンチェア、セブンチェアを発表
2004年 パリ・コレクションに進出
2006年 デンマークのテキスタイルメーカー「KVADRAT(クヴァドラ)」より、自身がデザインする生地が発売される
2007年 京都に2店舗めとなる直営店をオープン
2012年 東京スカイツリー®のユニフォームデザインを手がける
2014年 経年変化を楽しめるようデザインされたインテリアファブリック「dop」を発表
受賞歴
2006年 「毎日ファッション大賞」大賞受賞