ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
生まれは東京の蒲田です。父は精密機器メーカーに勤めるエンジニア、母は小学校教師。デザインに触れる機会は、祖父母が与えてくれました。2人が営む輸入家具店が五反田にあったので、小さな頃、よく遊びに行っていたんですよ。祖母が「これはバッファローの革、これはイタリアの家具」と、幼い僕に教えるでもなく話してくれたことが、今も記憶に残っています。
学生時代に夢中になったのは、陸上競技です。優秀なランナーだった、年上のいとこに憧れて。中学時代は1500mと3000m、高校では駅伝を走りました。残念ながら全国レベルには届きませんでしたが、「ずっと走り続けたい」という気持ちは強かったですね。体育大学に進学して、いずれはフルマラソンにも挑戦し、体育教師になる。漠然とですが、そんな将来をイメージしていました。
しかし、高3の大会の予選で、足首を骨折してしまった。テーピングしてなんとか決勝も走りましたが、さらに傷は悪化。結果、当然ながら体育大進学に必要な成績に届きませんでした。陸上一筋だった僕には、大きな“事件”ですよ。でも、必死で頑張っても自分は県の決勝止まりの選手……そう考えて、ランナー人生に区切りをつけることにしたのです。
ヨーロッパを選んだのは、祖父母が家具を買い付けにヨーロッパに行っていた影響かもしれません。パリでは、フランス語を学ぶため、語学学校に通いました。そこでアパレル出身の日本人女性と知り合うのですが、彼女の紹介でパリコレのアルバイトをさせてもらうことに。
ファッションの世界に触れたのはこれが初めて。しかも、いきなりパリコレのバックステージです(笑)。簡単なお直しやフィッティングなど、雑用をするだけでしたが、周りの人の手つきをマネしながら一生懸命やりました。正直にいって、「とても苦手な作業だな」と思いました。僕は昔から不器用で、ものづくり全般が苦手。プラモデルもうまくつくれません。でも不思議と、ファッションに惹かれる自分がいた。確かに苦手だけど、苦手だからこそ続けられると直感したんです。
“続けられる”という状態を、昔も今も僕はとても大切にしています。何十年も同じ会社で働き続ける父を、尊敬していました。自分の飲み込みの悪さを昔から自覚していたし、みんなと同じように何かを始めても、同じ速度では覚えられない。でもずっと続けられれば、そのことが好きになるし、いつか上手にもなる。保育園の頃、泥団子がなかなかつくれなかったのだけど、毎日続けていたらできるようになった。その時の嬉しさを鮮明に覚えています。ファッションもきっと同じ。「これなら一生続けられるかもしれない」、そう思ったんですね。
みながわ あきら皆川 明
1967年 東京都大田区に生まれる
1987年 文化服装学院服飾専門課程Ⅱ部服装科に入学
1989年 文化服装学院を卒業後、大西和子のメーカー「P・J・C」などに勤務
1995年 自身のファッションブランド「minä(ミナ)」を設立。東京・八王子にアトリエを構える
1999年 アトリエを阿佐ヶ谷に移す
2000年 アトリエを東京・白金台に移し、初の直営店をオープン
2003年 ブランド名を「minä perhonen(ミナ ペルホネン)」に改名。フリッツ・ハンセン社とのコラボレーションで、
「minä perhonen」の生地をまとった家具、エッグチェア、スワンチェア、セブンチェアを発表
2004年 パリ・コレクションに進出
2006年 デンマークのテキスタイルメーカー「KVADRAT(クヴァドラ)」より、自身がデザインする生地が発売される
2007年 京都に2店舗めとなる直営店をオープン
2012年 東京スカイツリー®のユニフォームデザインを手がける
2014年 経年変化を楽しめるようデザインされたインテリアファブリック「dop」を発表
受賞歴
2006年 「毎日ファッション大賞」大賞受賞