ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
展示会には本当にたくさんのバイヤーが来てくれました。だけど、商品の掛け率を聞かれても、まったく答えられない。交渉の合間にアパレルの友人に電話して、初めて服の値付けのことを教えてもらう始末でした(笑)。
量産のことも考えていなかったので、そこからが地獄です。日暮里でたまたま見つけた生地で服をつくっていましたから、受注しても展示会と同じ生地が見つからない。途方に暮れていると、昔付き合いのあった生地屋が「じゃあ1反つくってあげるよ」と格安で引き受けてくれた。今ならわかるけど、1反だけつくると1m5000円近くかかっていたはずなんです。
刺繍も、信頼できる工場が見つからず、友達や友達の母親の手を借りて、20着ぐらい仕上げました。何とか乗り切ることができたのは、こうした多くの人の助けがあったからです。
自分で段ボールを担いで、関西方面に納品にも行っていました。とにかく当時はアトリエで仕事に本当に没頭していた。床に敷いた段ボールの上で寝て、朝の宅配便で起こされるような日々でしたから(笑)。
開業資金が底をついた時は、金融機関の融資を受けてしのぎましたが、まもなく友人の紹介で知り合ったアパレル会社の経営経験者と、K2Mインターナショナルを設立。この法人設立によって、ようやくビジネスが軌道に乗り始めました。
時代の後押しもあって、その後はシーズンを重ねるごとに、業績が順調に伸びていきました。
あこがれのパリコレクションでデビューしたのは、ブランドを設立してから3年後の97年。サンプルを持ってパリのプレスを回るなど、1年かけて準備しました。
パリデビューして感じたのは、自分たちが見ていた世界が、いかに小さかったかということ。その頃の東京は、「こういうことをやりたい」と自分が発信すると、それに反応してくれる人が近くにいて、そこからビジネスが生まれるような、すごく恵まれた環境でした。ところが世界では、「自分は誰であり、いつどこで誰のための服をつくるのか……」という、アイデンティティーとターゲットを明確に打ち出さなければ、相手にされません。そのことに気づいてから〝自分にしかできないこと〟を明確に打ち出すことを意識するようになった。自分のフィルターをとおしてできあがった服こそが自分であり、そこに自信を持つべき。それがわかったのが、大きな収穫でした。
もう一つ、そもそも〝世界に出ていく〟という発想自体がグローバルではないということに気づかされた。そんなふうに考えているのは、日本人ぐらいかもしれません。ファッションビジネスは、最初から世界をマーケットにしていなければ成立しない。パリで海外のマーケットと真剣に向き合ったことで、改めて日本の特殊性に気づかされました。
まるやま けいた丸山 敬太
1965年 3月4日、東京都渋谷区生まれ
1971年 神宮前小学校に入学。卒業後、原宿中学校に入学
1979年 豊島区にある本郷高等学校グラフィックデザイン科に入学
1983年 文化服装学院ファッション工科・アパレルデザイン科に入学
1986年 文化服装学院を卒業後、
ビギグループの株式会社キャトルセゾンに入社
1990年 退職して、フリーランスデザイナーとして活動
1991年 DREAMS COME TRUEと出会い、
コスチュームデザインを手がける
1993年 自身のブランド「ケイタ マルヤマ トウキョウ パリ
(KEITA MARUYAMA TOKYO PARIS)」を設立
1994年 1994-1995年秋冬東京コレクションデビュー。
メンズ・レディースの両ラインを発表。K2Mインターナショナルを設立
1997年 1998年春夏パリコレクションにデビュー
1999年 「KEITA MARUYAMAキモノ」をスタート
2005年 パリに初店舗をオープン。「KEITA MARUYAMA Relax」を発表
2008年 故・藤巻幸夫氏を代表取締役に、株式会社テトラスターを設立
2009年 「Wedding Dress KEITA MARUYAMA」を発表
2012年 ワンランク上の新ブランド「KEITA MARUYAMA」を発表
2013年 日本航空の客室乗務員、地上接客部門が着用する制服をデザイン
2014年 株式会社三越伊勢丹ホールディングスと包括的な提携を発表
受賞歴
1996年 毎日ファッション大賞新人賞、資生堂奨励賞
1998年 FCEデザイナー賞