ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
海外も大切だけど、足もとである日本も大事。私は日本でトップのデザイナーになりたいし、そのためにはまだここでやるべきことがあると考えたんです。パリコレは大きなアピールになりますが、世界を相手に売っていくのは現実的にはなかなか難しい。当時は円高で、国内生産したものを向こうに持ち込むと非常に高価になる。かといって生産地をヨーロッパに移すのも簡単ではない。でも、こう思ったんです。日本を主戦場としても、私のデザインが世界に通用するレベルであれば、将来必ず彼の地での生産、販売は可能になると。
また、コレクションだけが発表の場じゃありません。2009年、72歳の時にパリコレに再デビューしましたが、私がアートに凝り始めたのもちょうどその頃から。当時頭を悩ませていたのは、「湯水のごとくお金を使って、わずか15分のショーをつくる。でも、お客さまはすぐまた次のショーを観にいき、コシノヒロコのことなど忘れてしまう」ということ。私にはその事実が耐えられなかった。だから、私の制作過程、つまりデザイン画があって、テキスタイルをつくって、洋服になっていくプロセス全体を見せる展示をショーに併せて開催するようにしたのです。
小さな頃、絵描きになりたかった私が、長い年月を経て、今また絵に夢中になっています。それにはこんな理由もあります。私が描いた絵から発見した新しい形、新しいディテールが、私がつくろうとしている服とシンクロする時がある。「これって最高! すごく私らしい!」と思える瞬間です。また、布を熟知しているからこそ描ける絵というものがあります。自分でデザインした布の上に絵を描いたり、シーチングを石膏で固めて立体にしたり。新しい現代アートの世界をどんどん開拓してみようと思っています。
私ももうじき80歳です。「80歳から先をどう生きるか」と考えた時に、アーティストとしても大成したいなぁと。今、自由に絵を描いていられるのは、私がデザイナーとして成功することができたから。デザイナーのコシノヒロコが、絵描きのコシノヒロコをスポンサーしているようなものでしょ(笑)。もちろんファッションデザインが私のライフワークではあるにしても、もっとアートの領域に踏み込んでいきたい。きっとデザインの幅も広げてくれるはずですから。
コシノ ヒロココシノヒロコ
1937年 大阪・岸和田市に生まれる
1961年 文化服装学院を卒業後、銀座小松ストアー(現ギンザコマツ)ヤングレディースコーナー専属デザイナーに
1964年 大阪心斎橋にオートクチュール・アトリエを開設
1978年 ローマ、アルタ・モーダに日本人として初めて参加
1982年 パリ・プレタポルテコレクションに参加。以後年2回参加
1988年 株式会社ヒロココシノデザインオフィス設立、代表取締役社長に就任
1997年 大阪コレクションにて、大阪府知事、大阪市長をモデルに迎えヒロココシノ・オム・コレクションを発表。ブランド設立15周年、デザイナー創作40周年を迎える
2002年 「仄かと閃き」展と題した墨絵の個展を東京、札幌、小倉にて開催
2004年 芦屋市からの要請を受け、ファッションをはじめ書画、絵画などこれまでの創作活動の集大成として「コシノヒロコ展」を芦屋市立美術博物館にて開催
2007年 デザイナー生活50周年を迎える。中国上海国際芸術祭に参加
2008年 株式会社ヒロココシノデザインオフィスから株式会社ヒロココシノに社名変更
2009年 15年以上のブランクを経て、パリ・コレクションに再び参加。
2012年 アーティスト小篠弘子の作品を発表する場として、KHギャラリー銀座をオープン
2013年 芦屋の自宅をギャラリーに改装し、KHギャラリー芦屋としてオープン
2014年 パリの老舗画廊ギャルリー・ニコラ・ドゥマンにて絵画のみの個展開催
受賞歴
1957年 N.D.C(. 日本デザイナー協会)デザインコンクール第1位受賞
1997年 第15回毎日ファッション大賞受賞