ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
その後、ジョルジオ・アルマーニで経営手腕をふるっていたフランソワ・ボーフュメが加わり、みるみる業績が伸びていきました。ブティックはパリだけで5店舗に増え、83年にはケンゾー・オム、86年にはケンゾー・ジャングルとケンゾー・ジーンズ、87年にはケンゾー・アンファンをスタート。そうなると、デザインは僕一人の手には負えなくなり、ジャーナリストからは「もっとクリエイティブな服をつくるべき」と揶揄される始末。また、80年代はトレンドがセクシーになってきて、「僕自身が時代に合っていないのでは」という不安も芽生えてきた。そういう服が主流になると、僕には厳しかった。だって、つくれませんから。でも、社員もいるし、途中では投げ出せません。追い打ちをかけるように、90年、共同経営者だった親しい友人が亡くなり、ほどなく僕の右腕だった近藤さんが脳梗塞で倒れてしまった。茫然としました。80年の経営危機を乗り切れたのは、彼らがいてくれたから。二人の味方を失って、僕は経営を続けていく自信も失ってしまった。人生最悪の時期でした。93年にLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)に株式を売却してデザイナーを続け、99年10月の「KENZO 30ANS」を最後に身を引いたのは、60歳で区切りがよかったから。退任後2年間はデザイナー活動ができない契約だったので、本格的に油絵を描き始めました。デザイナー活動を再開してからは、バカラとのコラボレーション、「TAKADA」という自分のブランド名でのコレクション発表など、自由にやっています。最近では、カンボジアのホテルプロジェクトに参加し、建築家と協働で設計やインテリアをディレクションしたり、スタッフのユニフォームをデザインしたり。ホテルの総合ディレクションは初めてなので、楽しい反面、「本当にうまくいくかな」という怖さもあります。パリを拠点にデザイナー活動を始めてから半世紀近く経ち、たくさんの山と谷を経験しました。そんな僕の経験からいえるのは、「自分はどんな服をつくりたいのか」を考え抜くことの大切さ。僕の場合は、日本人であるというアイデンティティで勝負することでした。本当にやりたいことを明らかにしたら、何があってもぶれずに貫く。それが世界で戦う時のベースになったのだと思います。
たかだ けんぞう高田 賢三
1939年 2月27日、兵庫県姫路市生まれ
1958年 神戸市外国語大学を中退し、文化服装学院師範科に入学
1964年 6カ月の予定でパリへ船で向かい、そのまま住みつく
1970年 独立し、自分のブティック「JUNGLE JAP」を開業
1985年 東京にケンゾー・パリ株式会社を設立
1993年 フランスの企業グループ、LVMHにブランドを売却
1999年 「KENZO 30ANS」を最後に、ブランドを退く
2002年 独立デザイナーとして復帰。フランスの通販雑誌『ラ・ルドゥート』にデザイナーとして参加
2006年 「TAKADA」で、2007年春夏コレクションを発表
2010年 パリで「能」をテーマした絵画の個展を開催
AWARD HISTORY
1960年 第8回装苑賞
1972年 日本ファッション・エディターズ・クラブ賞
1984年 フランス芸術文化勲章シュヴァリエ位
1985年 第3回毎日ファッション大賞
1998年 フランス芸術文化勲章コマンドゥール位
1999年 紫綬褒章、国連平和賞の1998年ファッション賞、東京クリエイション大賞「特別賞」
2000年 日本ファッション・エディターズ・クラブ「F.E.C.特別賞」、第22回繊研賞「特別賞」
2001年 平成13年度兵庫県文化賞
2004年 パリ市大金章