ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
開店準備は、デザイン科の同期でパリに来ていた近藤さん、パリのデザイン会社にいた安齋敦子さんに手伝ってもらうことに。お金がないから、内装は自分たちで絵を描き、服の生地は、正月に帰国した際に日本で買い集めてきました。当時のパリは化繊が主流。木綿やウールが少なく、柄も地味だったので、下北沢で可愛い柄の木綿を探し、浴衣の反物や総絞りの帯揚げ、呉服屋で安く売ってもらった染め見本の端切れなどを、どっさり持ち帰ったのです。服づくりは、パリに留学していた文化服装学院の先生など、日本人5〜6人の手を借りました。一番心強かったのは、近藤さんの存在です。彼女は平面製図もトワルもでき、僕のデザイン画を一目見ただけでイメージどおりに仕上げてくれましたから。
ショーの2カ月後、自分の服が表紙を飾っている『エル』が発売された時はビックリしました。もちろん、嬉しかったけれど、「ほかにもっといい服があったのに」とも思いました(笑)。開店時にお披露目したのは春夏物だったので、すぐに秋冬コレクションに取りかかりました。今度は毛糸を使ってニットを編んでもらい、日本で買ってきた木綿などをキルティングにした冬物をデザイン。この時の服も『ヴォーグ』や『マリクレール』に掲載され、ビジネス誌からも「日本の若手デザイナー」というテーマで取材を受けたりしましたね。独立前は、「日本人だから差別されるのでは」と心配しましたが、まったくそんなことはなく、むしろ日本の生地との組み合わせや服のかたちが、オートクチュールに飽きていた彼らには新鮮に映ったようです。 パリの会社に雇われていた頃は、自分の個性など考えず、オートクチュールのトレンドに倣ってデザインしていましたが、独立する際に初めて「自分はどういうものをつくりたいのか」を真剣に考えました。そして、日本人としての感性と矜持を信じて、服づくりをしようと決めた。そんな決意と、フランスの価値観にとらわれない僕の自由な発想とデザインが、パリのモード界に受け入れられたのではないでしょうか。
たかだ けんぞう高田 賢三
1939年 2月27日、兵庫県姫路市生まれ
1958年 神戸市外国語大学を中退し、文化服装学院師範科に入学
1964年 6カ月の予定でパリへ船で向かい、そのまま住みつく
1970年 独立し、自分のブティック「JUNGLE JAP」を開業
1985年 東京にケンゾー・パリ株式会社を設立
1993年 フランスの企業グループ、LVMHにブランドを売却
1999年 「KENZO 30ANS」を最後に、ブランドを退く
2002年 独立デザイナーとして復帰。フランスの通販雑誌『ラ・ルドゥート』にデザイナーとして参加
2006年 「TAKADA」で、2007年春夏コレクションを発表
2010年 パリで「能」をテーマした絵画の個展を開催
AWARD HISTORY
1960年 第8回装苑賞
1972年 日本ファッション・エディターズ・クラブ賞
1984年 フランス芸術文化勲章シュヴァリエ位
1985年 第3回毎日ファッション大賞
1998年 フランス芸術文化勲章コマンドゥール位
1999年 紫綬褒章、国連平和賞の1998年ファッション賞、東京クリエイション大賞「特別賞」
2000年 日本ファッション・エディターズ・クラブ「F.E.C.特別賞」、第22回繊研賞「特別賞」
2001年 平成13年度兵庫県文化賞
2004年 パリ市大金章