ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
パリ滞在中、シャネルなどのオートクチュールのショーを見たのですが、あまりにも完璧な美しさに衝撃を受け、松田君と「僕たちは、デザイナーなんて名乗ってはいけないのではないか」と打ちのめされました。松田夫妻が旅立つと、2月のパリに僕一人……街は寒いし、友達もいない。小さな部屋で途端にホームシックになってしまった。国際電話はお金がかかるので、手紙を書いて寂しさを紛らわせてね(笑)。2月中旬に「せっかくだからフランス語を勉強しよう」と語学学校に通い始めて、ようやく友達が数人できました。帰国が近づいた頃、ふと「デザイン画を誰かに見てもらおう」と思い立ち、1週間かけてスケッチブック数冊に画を描いてみました。久しぶりに描くのは楽しかったし、いざとなると厚かましくなれるもの(笑)。ルイ・フェローの店に飛び込んで、画を売り込んだのです。すると、なんとルイの奥さんが5枚ほど買ってくれた。値段は1枚25フラン(約5ドル)。その夜は久しぶりに外食しました。翌日、『エル』の編集部を訪ねると、今度は1枚50フランで10枚も買ってくれた。もしもあの時、画を描いて、ルイ・フェローの店に行っていなかったら、今の僕はなかった。僕の人生が大きく動き出した瞬間です。お金の心配がなくなると、途端に日本に帰る気は失せました(笑)。パリでいろいろな会社に画を売り歩いているうちに、ワンピース専門の既製服メーカーに誘われ、就職することに。当時の仕事はスタイル画を描き、トワルづくりと製図が主。半年後、同じように画を買ってくれていた既製服のデザイン会社に転職し、ここには自分のブティックを構える直前まで在籍していました。
憧れのパリで就職した髙田氏。そこからさまざまな人の協力や工夫で、自分の店を持つに至ります。
その経緯とは?
たかだ けんぞう高田 賢三
1939年 2月27日、兵庫県姫路市生まれ
1958年 神戸市外国語大学を中退し、文化服装学院師範科に入学
1964年 6カ月の予定でパリへ船で向かい、そのまま住みつく
1970年 独立し、自分のブティック「JUNGLE JAP」を開業
1985年 東京にケンゾー・パリ株式会社を設立
1993年 フランスの企業グループ、LVMHにブランドを売却
1999年 「KENZO 30ANS」を最後に、ブランドを退く
2002年 独立デザイナーとして復帰。フランスの通販雑誌『ラ・ルドゥート』にデザイナーとして参加
2006年 「TAKADA」で、2007年春夏コレクションを発表
2010年 パリで「能」をテーマした絵画の個展を開催
AWARD HISTORY
1960年 第8回装苑賞
1972年 日本ファッション・エディターズ・クラブ賞
1984年 フランス芸術文化勲章シュヴァリエ位
1985年 第3回毎日ファッション大賞
1998年 フランス芸術文化勲章コマンドゥール位
1999年 紫綬褒章、国連平和賞の1998年ファッション賞、東京クリエイション大賞「特別賞」
2000年 日本ファッション・エディターズ・クラブ「F.E.C.特別賞」、第22回繊研賞「特別賞」
2001年 平成13年度兵庫県文化賞
2004年 パリ市大金章