ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
何としてもファッションデザイナーになりたかったし、“世界一のお洒落になりたい”という欲求も強かった。すでに大学を辞めて退路を断っていたので、装苑賞を受賞しない限り、大学中退のダメ青年に明るい未来はやってこないぞ、と。今思い返しても、受賞への執念は凄まじく、死にもの狂いで勉強していました。昼はアトリエで服を縫い、夜は『装苑』を見ながら、スタイル画を描き起こす練習。電車に乗っていても、頭の中で常にデザインを考える、暗算ならぬ“暗デザイン”(笑)。寝ても覚めても、考えるのはファッションのこと。周りにあるものすべてから何かを吸収しようとしていました。
装苑賞を受賞した時は、応援団長の経験をフル活用しました。審査では客席から拍手が沸きますが、文化服装出身ではない私には、仲間がいないから、自分で応援するしかない。モデルに服を着せると、急いで客席に行き、大きな声で「その服カッコいい!」と叫ぶ。すると、会場が沸いて審査員の顔色が変わり、予選は1位通過。本選では、先ほどの反対側にまわり、今度はモデルの名前を大声で叫んで、見事1位を獲得。「とにかく受賞しなくては」と、必死だったのです。
妻と駆け落ち同然で結婚していた私は、装苑賞受賞後も、3畳のアパートで服を縫い続けました。服の仕事だけでは生活が立ち行かず、日雇いの肉体労働をかけ持ちしていました。そんな状況を見かねて、岐阜県で老舗洋品店を営む妻の実家が、私の服を「店で販売しよう」と助け船を出してくれた。そんな支援もあって何とか服づくりだけで食えるようになり、24歳の時には、小さなアトリエを構えることができました。
やまもと かんさい山本 寛斎
1944年 2月8日、神奈川県横浜市に3人兄弟の長男として生まれる
1965年 日本大学文理学部英文科を中退。コシノジュンコや細野久の
アトリエでお針子として働きながら、独学でスタイル画を学ぶ
1968年 渋谷西武のアバンギャルドショップ「カプセル」に出展
1971年 株式会社やまもと寛斎を設立。ロンドンにおいて日本人として
初めてのファッションショーとなる「Kansai in London」を開催
1974年 パリで「Kansai in Paris」を開催
1979年 ニューヨーク・コレクションに参加
1980年 パリ、ミラノ、サントロペなどに「ブティック寛斎」をオープン
1985年 東京コレクションに参加(~1993年)
1993年 ロシア・モスクワでスーパーショー「ハロー!ロシア」を開催
1995年 ベトナム・ハノイで「ハロー!!ベトナム」を開催
1997年 インド・ニューデリーで「ハロー!インディア」を開催
2000年 岐阜県・長良川競技場にて「ハロージャパン」を開催
2008年 明治神宮外苑の聖徳記念絵画館にてイベント「勝つぞっ」を
開催し、2016年オリンピック・パラリンピックの東京招致を応援
2010年 京成スカイライナー新型車両の内外装をデザイン
2013年 ロンドンにてファッションショー
「Fashion in Motion: Kansai Yamamoto」を開催し、
新作コレクションを発表
2015年 東京都現代美術館にて
「日本元気プロジェクト2015 スーパーエネルギー!!」を開催
AWARD HISTORY
1967年 第21回装苑賞
1977年 第21回ファッション・エディターズ・クラブ賞
1994年 第7回東京クリエイション大賞 国際賞
2002年 第21回民俗衣裳文化功労者・国際文化大賞
2009年 第3回KU/KAN賞
2010年 京成スカイライナー グッドデザイン賞
2011年 京成スカイライナー ブルーリボン賞
2012年 第7回日本イベント大賞 審査員特別賞