ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
経営が成り立つブランドを持続させるのは大変です。時には、市場のニーズに合わせてデザイナーとしての自分を曲げなければいけないこともある。僕は、それがイヤだったから、今のスタイルを選びました。デザインと経営のバランスをとるには、客観的な目と主観的な目の両方が必要です。ところが、僕にとっての客観性は、「ショーで自分の服がどう見られるか」という点に向いてしまう。残念ながら「自分の服が売れるかどうか」を客観的に判断することが苦手なんですよ。
僕はコレクションを発表する際、テーマを一切つくってこなかった。ただ、"少女服"をつくるということだけ。普通の大人の服はつくれないけれど、少女の心を宿した大人の服をつくることはできます。仕事のなかで大切にしているのは、やはり自分らしさでしょうね。結果として、「あ、これは中野さんらしいね」と思ってもらえる服をつくること。
目の前にある生地を使って、自分がつくりたいと思う服を自由につくる。ただし、プロの目を持つ人が見て新鮮に感じる変化をつけながら。そのテクニックには自信を持っているつもりです。同じ少女服でありながら、どこかが違っている――そんなニュアンスを伝えたいと思いながら服づくりを続けています。
例えば、プリントのように見えるけど、実はパイピングと継ぎで柄をつくり出しているシャツ。このニュアンスは、インターネット販売では伝わりにくい。でも、ネット販売が当たり前になった今だからこそ、あえてそういう服づくりをしていきたい。そんな僕の服を手に取って見てもらえるよう、2016年8月、白金にショップをオープンしました。気軽に入ってもらえるよう、ソファを置いたサロン風のショップです。
週に5日は僕も店に出て、モデルのフィッティングをし、2階のアトリエではお直しなども行います。服づくりの過程が見られるショップなんて楽しいじゃないですか。ファッション業界を目指している若い人たちに、商売ありきだけではなく、デザイナーとして無理せず、続けていく方法もあるということを、この店を通して見せてあげられたらいいなと思います。
目標は、一日でも長くデザインを続けること。僕は一度始めたことは、止めないタイプなんですよ。週3回のテニスは35年続けているし、茶道は江戸千家に入門して9年目です。続けることが何の役に立つのかはわからないけれど、花を入れ続けていると、同じような花入れでもどちらが花を引き立ててくれるのか見えるようになるのです。20代でアンディ・ウォーホルの作品を手に入れ、奈良美智など国内有名作家の作品も持っていますし、古美術や玩具も長年収集してきました。いいものをたくさん見たことで審美眼が養われたし、いいものが欲しい、届けたいという思いが強かったから、ファッションデザイナーとして長く一線で頑張ることができたのでしょう。"目で見る美"と"頭で考える美"がつながって、デザイナーという職業に昇華できたと感じています。
ナカノヒロミチ中野裕通
1951年 宮城県岩沼市に2人兄弟の次男に生まれる
1970年 宮城県仙台第三高等学校卒業
1972年 株式会社ニコル(NICOLE)に入社
1976年 株式会社ビギ(BIGI)に入社
1979年 ビギを退職。デザイナー小栗壮介氏と、原宿のセントラルアパートにオフィスを構え、アパレル企業の傘下で新ブランドをスタート
1981年 株式会社サンエー・インターナショナルに入社。ビバユー(VIVA YOU)のチーフデザイナーに就任
1984年 サンエー・インターナショナルにて、自身のブランド「hiromichi nakano(ヒロミチナカノ)」をスタート
1986年 東京ファッションデザイナー協議会(CFD)加入
1991年 独立。株式会社ヒロミチ・ナカノデザインオフィスを設立
1998年 パリ・コレクション(1999年春夏コレクション)に初参加
《受賞歴》
1989年 毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞
1999年 第42回日本ファッション・エディターズ・クラブ特別賞