ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
思いつきで入社してはみたけれど、ファッションの勉強などまったくしてこなかった僕には、アパレル会社がどんな仕事をしているのかもわかりません。入社後の配属先は生産部門で、教えてもらいながら生地の裁断をしたり。社内のデザイナーは、大半が文化服装学院の出身でした。彼らの仕事ぶりを見て「僕も文化服装学院に通うべきかな」と考えて、入社したその年に夜間部に入学したのですが……なんだか肌が合わなくて3日で自主退学(笑)。でも、その後も学校に行くという名目で早めに退社して、近所の菊池武夫さんの店に入り浸っていました。その店には菊池さんの服だけでなく、数点でしたがヨーロッパで選んできた服も並べてあり、今でいうセレクトショップ。当時は誰も考えつかない斬新な発想です。僕は、そんな最先端の場所に集まるお洒落な有名人や素晴らしいデザインの洋服などを、いつも憧れの眼差しで眺めていました。
その頃、気に入って何度も通っていた雑貨店で、ある時、店の中で美しい女性に声をかけられた。「今度家でご飯でもどうですか?」と。彼女は雑貨店オーナーで、髙田賢三さんとも親交のあるモデルでした。で、食事の席で「これから洋服も始めようと思うので一緒にやらない?」と誘われた。結局、僕はニコルを退社し、後先をまったく考えず彼らを手伝うことになりました。
展示会用の洋服の写真を撮る目的でパリに行く彼女に、僕も同行。24歳で初めての海外、しかも憧れのパリです。仕事とはいっても僕は自費でしたけど。滞在中はパリ中を歩き回り、蚤の市の日には陽がのぼる前に駆けつけ、一着100円ほどの古着をたくさん買い集めて回りました。お金はないけど個性的でありたいと思っていた僕が着ていたのは、ニコル時代から古着ばかりでしたから。初めてのパリは、見るものすべてが新鮮で、あらゆる経験が今につながる糧になりました。滞在中に観たパリコレの会場で、観客席からブーイングが起こるのを見て、「厳しい世界だな」と思ったのを覚えています。
ナカノヒロミチ中野裕通
1951年 宮城県岩沼市に2人兄弟の次男に生まれる
1970年 宮城県仙台第三高等学校卒業
1972年 株式会社ニコル(NICOLE)に入社
1976年 株式会社ビギ(BIGI)に入社
1979年 ビギを退職。デザイナー小栗壮介氏と、原宿のセントラルアパートにオフィスを構え、アパレル企業の傘下で新ブランドをスタート
1981年 株式会社サンエー・インターナショナルに入社。ビバユー(VIVA YOU)のチーフデザイナーに就任
1984年 サンエー・インターナショナルにて、自身のブランド「hiromichi nakano(ヒロミチナカノ)」をスタート
1986年 東京ファッションデザイナー協議会(CFD)加入
1991年 独立。株式会社ヒロミチ・ナカノデザインオフィスを設立
1998年 パリ・コレクション(1999年春夏コレクション)に初参加
《受賞歴》
1989年 毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞
1999年 第42回日本ファッション・エディターズ・クラブ特別賞