ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー
街に出ると、どんな人が何を着ているのか、さり気なく観察しますが、安価でいろんな服が買えるようになったのに、〝着ること〞を楽しんでいるように見えないのはなぜでしょう?
お洒落をできるのは人間だけなのに……残念ですね。
多くの人たちが最新の服に身を包み、憧れのブランドを買うことを楽しんでいた、あの80年代を経験したから、特にそう感じるのかもしれません。
このままでは洋服だけではなく、ファッション雑誌も売れなくなってしまう。
そんな危機感をずっと持ち続けています。
もう一つ気になっているのは、時代がよりカジュアルになっていること。
どこでもラフな服装が許され、TPOが無視されていませんか?
ファッション業界の人でも、ラフな服装でオフィシャルな場所にも行ってしまう。
それがかっこいいと思っているのか、お洒落をすることに照れがあるのかわかりませんが、真にかっこよくなりたいのなら、もう少し〝場所に見合う服装〞に気配りをすべきだと思います。
私は今、『フィガロジャポン』で「きもの上手」というページを持っています。
その連載は8年目に入り、過去6年分をまとめた書籍も出版しました。
初めてきもののスタイリングをしたのは、78年の『クロワッサン』の企画でした。
帯揚げや帯締めの選び方も含めて、きものはとても楽しい。
小学校から中学校まで日本舞踊を習っていたので、きものには昔から愛着があるのです。
一般的には呉服屋さんが帯と着物の組み合わせを顧客に提案して、そのまま買うことが多いのですが、顧客自身が自由に選べるようになる手助けをしたいと思っています。
きものは、全身で柄を楽しめるのが洋服とは異なる魅力です。
昔の柄を見ると、日本人の色彩感覚がいかに優れているか実感できます。
その昔、きものメーカーの顧問を務めていた頃、小紋の買い付けや紬の企画を経験しました。
「売れなくなって生産をやめた」という柄からいいものを発掘して織ってもらったり、古い柄を参考にしてオリジナルの染め帯をつくったりしたのは楽しい経験でした。
ハラ ユミコ原 由美子
1945年 誕生。神奈川県鎌倉市で育つ
1967年 慶應義塾大学文学部仏文学科を卒業後、日仏学院に通う
1969年 『ELLE』の整理係として、『アンアン』創刊準備に携わる
1972年 『アンアン』50号で初めてスタイリストの仕事に携わる
1973年 初の海外ロケ。パリコレを取材(~2011年)
1974年 『婦人公論』巻頭のファッションページの連載を担当
1977年 『クロワッサン』の創刊メンバーに加わる
1982年 『エルジャポン』(平凡出版)創刊号より1年間、ファッションディレクターを務める
1986年 『マリ・クレール日本版』でシャネルをはじめファッションページをスタイリング
1988年 『Hanako』創刊号をはじめファッションページをスタイリング
1991年 毎日ファッション大賞の選考委員(2012年まで)
1993年 『エスクァイヤ日本版』の連載
「Weekend Gentleman原由美子の〈週末の紳士たちへ〉」スタイリング
1997年 JAS(日本エアシステム)の新ユニフォームの企画を担当
2002年 『和樂』の連載「和の心で着るモード」スタイリング
2004年 「日本クリエイション大賞」の選考委員(~現在)
2010年 『フィガロジャポン』で「きもの上手」連載(2015年に書籍化)
2012年 著書『原由美子の仕事 1970→』(ブックマン社)を出版
AWARD HISTORY
1995年 ミモザ賞
2012年 第54回FECJ特別賞
2014年 第32回毎日ファッション大賞 鯨岡阿美子賞