“モノづくり“という共通のフィールドで活躍する異業種クリエイターのインタビュー
真鍋 大度
1976年生まれ。東京理科大学理学部数学科卒業、国際情報科学芸術アカデミー (IAMAS) DSPコース卒業。2006年にウェブからインタラクティブデザインまで幅広いメディアをカバーするデザインファーム「rhizomatiks(ライゾマティクス)」を立ち上げる。2008年には、石橋素とハッカーズスペース「4nchor5 La6」(アンカーズラボ) を設立。ジャンルやフィールドを問わずプログラミングを駆使して様々なプロジェクトに参加。MIT MediaLab、Fabricaを初め世界各国でワークショップを行うなど教育普及活動にも力を入れる。文化庁メディア芸術祭や、カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバルのサイバー部門など様々な賞を受賞。米Apple社のMac誕生30周年スペシャルサイトにてジョン前田、ハンズ・ジマーを含む11人のキーパーソンの内の一人に選出されるなど国際的な評価も高い。
幼少時代はアメリカに住んでいて、その頃はATARI社のゲームが好きで一晩中やったり、小学生時代はゲームセンターにもよく行っていました。4年生の頃にPC-8801という8ビットパソコンを買ってもらって、ツールを使ってゲームを作ったりしていましたね。
音楽にも興味を持つようになって、中学3年の頃からDJをやり始めて、高校に入ってからすぐにターンテーブルを買いました。
中学生の頃に通っていた予備校で、数学を教えていた先生に影響を受けて数字に興味を持つようになり、その頃には大学入試の問題を普通に解いていましたね。その後は東京理科大学の理学部数学科へ進学し純粋に数学について勉強していましたが、その中でWebサイトを制作する授業があった時に、UNIXでプログラムを書いてみたりしました。
大学卒業後、エンジニアとして電機メーカーに就職し、防災システムの拡張や設計開発に携わりましたが、大学時代の同級生がWebの仕事をしていて「面白そうだな」と思い、翌年にはWebのベンチャー企業に転職しました。そこでは今でいうSNSのようなコミュニティを作って、実際にイベントをやって集客するような企画をしていましたが、半年も経たないうちに会社の経営が傾いてしまいました。
当時はプログラムで音をつくる環境の選択肢があまりなく、メディアアートにも興味があったので、いろいろ調べていたら、IAMAS(イアマス)という国際情報科学芸術アカデミーがあることを知り、次に行く所はそこしかないと思って入学しました。
その頃は、学生が使える機材の設備が全て揃っていて、ひと学年に7人しかいないのに対して先生が3人という体制だったので、ほぼマンツーマンで教わることができたものの、ゼミ以外では実践的な授業というのはあまりなくて、映像や作品を観て感想やレポートを提出することが多かったですね。
例えば、前向性健忘という10分間しか記憶が保てない患者さんのドキュメンタリービデオを観て、最善の解決策があるのか、またテクノロジーで解決できるものは何なのか、それ以前に人間として在るためには何が一番必要なのかを皆で考えるという授業だったり。
またコミュニケーションの授業として、ひとつのコミュニケーションツールをつくるために、ノロシから考えて今の携帯電話になるまでを徹底的にリサーチして、この先どういった形になっていくのかをグループで作りあげていったのですが、そこで周りが提出するものがおもしろくて刺激になりましたね。
だから、そもそもまだ無い問題を見つける作業をたくさんやりました。問題解決をする学校ではなくて、問題提起をしていく学校だったと思います。P2Pというネットワークの形態を使って新しい音楽を考えるとか。私がいた頃はユーティリティやサービスを開発するという様なことよりも、もう少し概念的なことを考えるケースが多かった様に思います。
その後、東京藝術大学の先端芸術表現科で藤幡正樹先生の助手をしたあとに、講師としてネットワークとプログラムを使って音をつくるサウンドデザイン演習を講義していましたが、学生はあまりついてきてくれませんでした(笑)。今では色々なツールを使えば何でも簡単に出来てしまいますが、ツールや楽器そのものを作るという様な授業だったかと思います。
大きな仕事を受ける機会が多くなったので、2006年に大学時代の同級生3人でライゾマティクスを立ち上げました。あとIAMASで一番よく一緒に作品をつくっていた同級生が社員で加わって4名から始めたのですが、当初は僕自身の仕事があまりなくて肩身が狭い感じだったんですけど、Webとリアルを繋げることが盛んになってきた時に、少しづつ仕事が増えていきましたね。
例えばファッションブランドのパーティーの演出で、光を用いたインスタレーションを施したりしたのですが、ライトがただ単に光っているだけだと綺麗なだけなので、何かに反応したり人を感知して光るとか、コミュニケーションのきっかけになるようなインスタレーションを、石橋素氏とよく一緒に手掛けていました。
また当時はYouTubeがまだ一般的に使われていない時代だったので、実験的な映像を投稿してみようと思い試みたのが、筋電位センサーと電気刺激デバイスを用いて自分の顔に電流を流して、異なる電気信号によって顔の表情を無理矢理コピーする実験映像でした。
データと身体の相互関係に着目したその作品が、のちに世界30都市以上で発表され、再生回数が170万ビューを達成しました。
印象に残っている仕事でいうと、テクノポップグループ『Perfume』の世界デビューを記念したプロジェクトですね。Perfume本人の肖像は一切登場せず、グラフィック、オリジナルの楽曲データと3人のモーションキャプチャデータのみを用いたプロジェクトです。
データを扱うための機能拡張やエグザンプルのコードはフリーで配布し、二次創作の促進を計りました。その結果、世界各国からヴァリエーションに富む600以上のプロジェクトが生まれ、二次創作で生まれた作品の合計再生回数はYouTube、Vimeo、ニコニコ動画で 1000万回を超える大きなムーブメントになりました。
僕らが言うアイデアは、実現の方法を含めたところまでがアイデアなので、様々な問題が解決していないと、それはただの思いつきで留まってしまうんですよね。
斬新なものをアウトプットするためには、まず類似研究や先行事例といったものを過去に遡ってリサーチすることが必要ですね。Perfumeのプロジェクトでも先行事例を共有するところから始まり、そこからどうやって新しいものを作っていくかということをまずは考えます。
「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」という言葉のように、できる限りのルーツを探ってそのコンテキストの中でも解釈されるものであることが嬉しいし、さらにはその流れの先に行きたいと思っています。